また、「松」というと「松竹梅」としておめでたいものの代名詞的
この3つの組合せは平安時代からすでに日本に伝わっていますが、
時代ごとにそれぞれが縁起の良いものとされるようになり、セットになってもてはやされるようになったようです。
まず、「松」は平安時代から「不老長寿」や「神様の依り代」として平安時代から縁起物とされてきました。
理由は前回述べたように冬でも青々としていることから。
次は「竹」の番です。成長が早く、まっすぐに伸びる竹は「生命力」「成長力」を、広く根を張る姿が「子孫繁栄」の象徴として室町時代からもてはやされました。この時代に茶道・華道が流行し、庭園に竹が植えられるようになります。
最後の「梅」ですが、昨年2-3月に「春は梅見ごこち」の項などでご紹介したように、万葉集に詠まれた花の中で2番目に多いのが「梅」ですが、貴族階級でもてはやされていたものの、庶民には浸透しているとはいえませんでした。梅干しは平安時代からあったものの、戦国時代に武士階級に保存食として広まりました。
庶民にまで「梅」文化?が拡がったのは江戸時代のこと。和歌山県田辺などで米の取れない痩せた土地に梅を栽培することが奨励されました。これにより庶民にまで「梅干し」が広まり、厳しい冬に花を咲かせ、身体によい実をつける「梅」が「健康」「長寿」の象徴として縁起物になったのでした。
こうして「歳寒三友」の3つが「松竹梅」のセットとなり、更にはお寿司屋さんが、元々「特上」「上」「並」としていたものを「松」「竹」「梅」と置き換えたことでさらに一般的になりました。「並ください」とは中々言いづらいところを、「松竹梅」とすることによって頼みやすく、言葉の響きも美しいことから大きく(鰻や蕎麦などにも)広まったようです。
以上、「松竹梅:の起りでしたが、松の話が続きます。