おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

豊島に用心、城用心6

練馬城に打ちかかり、周辺に火を放った道灌は、元々陣を敷いていた沼袋氷川神社まで戻る気配を見せますが、それは豊島氏を城からおびきよせる罠でした。伏兵を潜ませ、一騎打ちの武者に対して徒士の兵士が集団で打ちかかる、道灌得意の「足軽軍法」です。

この戦いで弟の泰明は討死し、当主泰経は石神井城に逃げ帰ります。道灌は間髪入れずに追撃を行い、石神井城を攻めます。泰経はいったん降伏を申し出ます。しかし、城を壊して抵抗しない証とするのが当時の戦の作法でしたが、泰経はそれをしませんでした。偽りの降伏である、と憤った道灌は更に城を攻めます。

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三宝寺池

「もはやこれまで」と、泰経は家宝「金の鞍」を愛馬に馬に置いて跨り、崖から三宝寺池へ飛び降り、娘の照姫も父の後を追って入水・・ここに豊島氏は滅亡したのでした。石神井公園には「殿塚」「姫塚」があり、悲運の二人を祀っています・・・

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殿塚 泰経の墓と伝えられる?

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照姫を祀った、といわれる姫塚

というのは後世の、しかも明治時代の小説のお話。実際には石神井城落城の後、泰経は闇夜に紛れて脱出しています。翌年には平塚城で再挙を図ろうとしてまたもや道灌に攻められ敗走。その後は行方知れずになり、歴史の上から名前を消します。

石神井城も練馬城も廃城となり、今では址だけが残りました。豊島氏の話はここまでですが、「東京城址高生」の第13話「遊ぶ練馬城」のラストで出てきた、練馬白山神社の大ケヤキをご紹介します。

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1083年に植えられたとすると、樹齢900年超!

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練馬白山神社の大ケヤキ

案内板によれば、1083年源義家が奥州征伐に下る際、植えられたものだとか。思えば平塚神社や王子神社も義家が関係していました。なんだか感慨にふけりながら、大ケヤキを眺めたのでした。

豊島氏のお話、本日で終わりです。お付き合いいただきありがとうございました。