前回、自性院の入口の写真を掲載しましたが、左端の像だけ撮ったのがこちら
一般に知られた愛嬌がある招き猫と比べると、随分と目が鋭い感じです。
猫地蔵堂の建物の横に、由来が記された石碑が建っています。
「西光山自性院猫地蔵詠歌」「西光山自性院猫地蔵和讃」と書かれているのが読めます。詠歌とは仏教の教えを五・七・五・七・七の短歌のリズムで唱えるもの、和讃とは仏様の功徳を和語で讃えた仏教歌謡をいいます。
二番の歌詞(?)が重要なところで、次のような文言です。
文明九年に政争あり
猫に導(ひ)かれて福を得る
道灌公の報恩行
み像祀りし濫觴(はじめ)とぞ
文明9年(1477)の政争とは江古田・沼袋原の戦いを指し、太田道灌と豊島泰経との間で行われた合戦です。その背景については4月の「大事の前の城址」「豊島に用心、城用心」で触れましたので、ここでは割愛します。(長くなるので・・)
道灌はこの戦いで一時劣勢となり、しかも道に迷うという窮地に立たされた時に、猫が現われて手招きし自性院の境内へ案内、これをきっかけにして挽回、最後には勝利を収めました。道灌はその猫の地蔵を自性院に奉納した、というものです。
境内の「猫地蔵堂」には猫地蔵を祀っているのですが、秘仏のため、年一回、節分の日のみの開帳となっているそうです。
このお話が、招き猫の説話としてはもっとも古いものなのですが、この話に出てくる猫は、「白猫」ではなく「黒猫」なのが、現在の猫の姿とは異なっています。(もっとも、黒猫では今のように流行らなかったと思いますが・・)
いずれの伝承も、招き猫により福徳が得られるお話ですし、あのポーズには何か癒されるのものがありますね。招き猫のお話、以上で終わりです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。