おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

白猫は招くよ6

前回、自性院の入口の写真を掲載しましたが、左端の像だけ撮ったのがこちら

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自性院入口の招き猫 左手を上げて右手で小判を持っています

一般に知られた愛嬌がある招き猫と比べると、随分と目が鋭い感じです。

地蔵堂の建物の横に、由来が記された石碑が建っています。

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自性院 招き猫の由来

「西光山自性院猫地蔵詠歌」「西光山自性院猫地蔵和讃」と書かれているのが読めます。詠歌とは仏教の教えを五・七・五・七・七の短歌のリズムで唱えるもの、和讃とは仏様の功徳を和語で讃えた仏教歌謡をいいます。

二番の歌詞(?)が重要なところで、次のような文言です。

文明九年に政争あり

猫に導(ひ)かれて福を得る

道灌公の報恩行

み像祀りし濫觴(はじめ)とぞ

文明9年(1477)の政争とは江古田・沼袋原の戦いを指し、太田道灌と豊島泰経との間で行われた合戦です。その背景については4月の「大事の前の城址」「豊島に用心、城用心」で触れましたので、ここでは割愛します。(長くなるので・・)

道灌はこの戦いで一時劣勢となり、しかも道に迷うという窮地に立たされた時に、猫が現われて手招きし自性院の境内へ案内、これをきっかけにして挽回、最後には勝利を収めました。道灌はその猫の地蔵を自性院に奉納した、というものです。

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地蔵堂

境内の「猫地蔵堂」には猫地蔵を祀っているのですが、秘仏のため、年一回、節分の日のみの開帳となっているそうです。

このお話が、招き猫の説話としてはもっとも古いものなのですが、この話に出てくる猫は、「白猫」ではなく「黒猫」なのが、現在の猫の姿とは異なっています。(もっとも、黒猫では今のように流行らなかったと思いますが・・)

いずれの伝承も、招き猫により福徳が得られるお話ですし、あのポーズには何か癒されるのものがありますね。招き猫のお話、以上で終わりです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。