おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

後悔、鷺に立たず4

この項でご紹介した鷺草伝説では、常盤は自らの境遇をはかなんで自ら命を絶った、というものでしたが、別のバージョンもありまして・・

世田谷線「若林」駅から環七通りを300Mほど南に行くと、世田谷通りと交差し、「常盤陸橋」の名前の陸橋があります。そこから西に100Mくらいの住宅地の間に「常盤塚」が残されています。

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世田谷の常盤塚

常盤を埋葬した跡といわれ、案内板が立ってるのですが、「常盤は他の側室にそねまれ、城を逃れたが、この近くで殺害されてここに葬られた」とあります。さらに「後に訴えが虚偽であることを知った頼康は(中略)虚偽の訴えをした側室十二人を処刑した」とも!!

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常盤塚 案内板 

同じく塚の傍らに地元の方による碑文が残されています。これによると常盤の辞世の句は「君をおきて 仇し心は なけれども 浮名とる川 沈みはてけり」というものだったようです。

詠まれた背景から意訳すれば、「愛する頼康さま以外に(さしおいて)、不誠実な浮気心などない私ですが、心無い噂の川におぼれ果ててしまいました」というところでしょうか。 

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塚の保存

後に処刑された十二人の側室は、因果応報とはいうものの、今の感覚でいうと「おいおい頼康、お前が一番悪いんじゃないか」と言いたくなりますね。

また、ここまでの話でお気づきの方もいらっしゃると思いますが、この話、側室は出てくるのですが、正室は全く登場していません。

wikipediaによると、吉良頼康正室は、後北条氏二代目の北条氏綱の娘でした。実子もいたようですが、北条氏系の人物(吉良氏朝)を養子に迎えた直後、数か月で家督を譲りました。直系ではなく北条氏系に乗っ取られたような形になったわけです。常盤や側室を巡るごたごたも、案外こうした政争の一環だったもかも、とも想像できます。

世田谷の話、続きます。