おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

小柄な鼠が金盗って誅4

前回の写真では見づらいので、ひとうひとつ拡大して

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「腕の喜三郎」墓 

 「腕の喜三郎」どういう人だったか、検索すると

・江戸時代の侠客

・寛文年間(1661-1673年頃)に「野出の喜三郎」と称する五人力の侠客で、神田で武士(旗本)達と喧嘩になり、相手をさんざん切り払って痛めつけた。本人も、片腕を切られながらも泰然と帰宅・腕が落ちそうにぶらぶらしているのを、「見苦しいから」といって子分にのこぎりで!切り落とさせた。

・その逸話から「腕の喜三郎」と名を改め世に広く知られ、歌舞伎や講談に脚色された

と出てきました。歌舞伎では、「玆江戸小腕達引 (ここがえどこうでのたてひき) 」などの演目が知られており、大正時代には同名の映画も制作された記録がありました。

ただ、「八丈島に遠島になったが、島抜け(脱獄と考えていいでしょうか)したのち、再度つかまり、病気を理由に召し放ち(出獄)の後、40歳で病死したとか、出家して74歳まで生きたとか、はっきりわかりません。しかし、小塚原で刑死したわけではなく、ここに墓石があるのも?です。

また、墓石が右腕なので、切り落とされた腕も右かと思っていましたが、腕を切った情景の浮世絵では左腕でした。

いずれにせよ、江戸初期のアウトローとして庶民からは人気のあった人物には違いありません。

明日はその隣、日本で最後に打ち首になった女性の囚人、毒婦といわれた「高橋お伝」を紹介します。