一般的に「八百屋お七」として知られるお七ですが、恋人に逢いたい一心で自分の家に放火し、火あぶりの刑に処せられました。齢僅か十六。しかも当時は数え歳ですから、今の年齢でいうと十五歳の少女の放火事件でした。
吉祥寺から南に1キロ足らず南にある圓乗寺にお七の墓がありますが、墓石らしいものが3つ建っています。中央の少し小さい墓石が圓乗寺の住職が供養のために建てたもの、右の一番大きな石が百十三回忌の1793年に、歌舞伎役者の初代岩井半四郎が建てたものです。彼は歌舞伎でお七を演じ、好評を博したことから、恩返しと供養を兼ねて建立したようです。左の墓石は270回忌に近所の有志により建てられたもので、二十世紀の供養塔だそうです。
お七について箇条書きにまとめます。
・生家は駒込片町(圓乗寺の北100Mくらいのところ)でかなりの八百屋だった⇒八百屋のお嬢様の生まれ
・天和2年(1682)の12月に起こった天和の大火で家が焼け、菩提寺である圓(円)乗寺に避難した⇒焼け出されてこのお寺に避難
・避難中に寺の小姓の佐兵衛(または吉三郎)と恋仲になった
・家が再建されて自宅に戻ったものの、佐兵衛に会いたい一心でつけ火(放火)をした
・放火の大罪でとらえられ、天和3年3月29日に火あぶりの刑に処された
といったところですが、会いたい一心で放火をする、というところがなかなかつながってこないのではないでしょうか。またそのあたりが色々脚色されたりして歌舞伎や講釈、落語などに取り上げられています。そのあたりを次回から紹介していきます。