おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

災害や意外

綱吉の治世は延宝八年(1680)から宝永六年(1704)の24年間にわたりますが、その後半は災害の連続でした。「天下大変 国立古文書館」のワードで検索すると、江戸時代の主な災害が年表形式でまとめられています。

これを綱吉の治世と重ね合わせると

延宝八年(1680)将軍になった年:出雲国飢饉で餓死者3万8590人

天和二年(1682)天和の大火(お七火事)駒込大円寺から出火 死者3500人余

天和の大火の火元とされる大円寺の「ほうろく地蔵」

治世24年を前後半12年ごとで分けると、前半の災害はこの二つだけ。これが後半に入ると大きく様変わりします。

元禄八年(1695)奥羽・北陸で飢饉が発生(冷夏の影響のようです)し、南部藩盛岡藩)では餓死者が4万人にも 一方江戸では10月に中野の犬小屋の運用が開始

元禄十一年(1698)元禄の大火のひとつ「勅額火事」が発生 この火事は京橋南鍋町から出火し、北へ駿河台⇒神田明神下⇒湯島天神下⇒浅草⇒三ノ輪・千住まで広がりました。寛永寺の境内にも火が回り、落成したばかりの仁王門の他、先代の将軍である家綱(厳有院)の廟所も焼けています。

元禄十五年(1702)奥羽・蝦夷地で飢饉発生。またしても南部藩で餓死者2万6千人の他、仙台藩でも大凶作となりました。一方江戸では、十二月に赤穂浪士による吉良邸討入りが起きています。

元禄十六年(1703)11月 元禄の大地震発生 地震の規模はM7.9~8.2と推定されています。(参考まで 関東大震災が同規模 東日本大震災はM9.0)地震火事による死者は21万人に上ったとの記録があります。

宝暦と改元された後も災害は続きます。

宝永元年(1704)浅間山が噴火

宝永四年(1707)宝永地震+富士山宝永大噴火

富士山までが噴火

宝永五年(1708)京都大火 禁裏や公家屋敷95軒,町数417町,家数1万351軒,寺社119か所,大名屋敷21軒が焼失した記録が残ります。

富士山の噴火については別途ご紹介しますが、まさに災害のオンパレード。これらが綱吉の評判を大いに落とすことになりました。それについては次回で。