おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

逢い焚くて逢い焚くて4

ほうろく地蔵は、首から上の病に霊験あらたかだそうで、お像の周りに奉納されているほうろくの積み上げられたほうろくの数が信心の深さを現わしているように思われます。近寄ってお姿を寺拝見すると、頭の上にほうろくを逆さにして、まるで笠のようにかぶっておられます。

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頭の上に「ほうろく」が載せられているのがわかります

なぜ、ほうろくをかぶって(載せて)おられるのでしょう。案内板によると、火あぶりの刑を受けた「お七」を供養するために建立された、と書かれています。

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ほうろく地蔵の案内板

お七の罪を救うため、自らは熱したほうらくを頭にかぶり、灼熱の苦しみを受けているお姿というわけです。お七の供養のため、享保四年(1719)に建てられたと書かれています。お七が火あぶりにされたのが、天和三年(1682)ですので、40年弱の後ですね。

天和の大火の火元となった(=お七とは直接かかわりのない)大円寺に、お七を供養するお地蔵さまが祀られている、ということは、おそらくこの時期すでに天和の大火が別名「お七火事」と呼ばれていたことを示しているように思われます。

それほどまでにお七の放火騒ぎが世の中に知れ渡った理由として、この時代のベストセラー作家、井原西鶴が「好色五人女」の中の一編で、お七の話を取り上げたことにあります。その中で、お七がどのように取り上げられたかについては次回ご紹介します。