おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

逢い焚くて逢い焚くて8

火刑に処せられる前に、市中を引き回されるのですが、その様子は次のように書かれています。

今日は神田のくづれ橋に恥を晒し、または、四谷・芝の浅草・日本橋に人こぞりて見るに惜まぬは無し。

江戸の街中、お七を見ようと人が集まり、皆がまだ若い娘の命を惜しんでいます。

世の哀 春ふく風に 名を残し おくれ桜の けふ散し身は

と辞世を吟じて、夕刻、鈴ヶ森の刑場でその身は焼かれ、うき煙となりました。

家族は卒塔婆を建てお七を弔います。

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井原西鶴 墓(誓願寺

さて、吉三郎はこの間何をしていたのかが気になるところですが、彼は病の床にあり、お吉が放火をしたことも、その故に火刑に処せられたことも知らないでいました。死後百日にしてやっと立ち上がることができるようになり、竹の杖を頼りに寺内を歩いていたところ、卒塔婆愛する人の名を見つけ、大いに驚き、悲しみ、自害しようとします。しかしお七の両親や寺の人々に説得され、お七の霊を供養するため、吉三郎は出家するのでした。

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吉祥寺 お七・吉三郎比翼塚

このエピソードが、歌舞伎・浄瑠璃等で色々なバリエーションで演じられます。

落語では、お七を裁く際、当時の老中、土井大炊頭はなんとかお七の命を救おうと奉行に命じ「お七、そちは十四であろう」と謎をかけさせます。十四歳であれば、減刑されるため、火あぶりでなく遠島で済んだからですが、お七は正直にも「十六でございます」と答えたため、火あぶりになってしまった、という流れです。

また、別の落語では、お七の死を悲しんだ吉三郎が、後を追って川へ身投げする筋になっていて、あの世で抱き合ったらジュウと音がした、火と水でジュウ(お七+吉三で7+3=10)という下げになるものもあります。

十六の可憐な少女の物語は、ここ駒込の地から大阪の西鶴の手によって更に大きく広がり、今に至っています。

長々とお付き合いいただきありがとうございました。