おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

仰げば尊しわが師の洪庵(「福翁自伝」より)7

「遊女のにせ手紙」と題されたエピソードで、手塚良仙(手塚治虫先生の曽祖父にあたります)の失敗談が語られています。

この項は、適塾生がみな地方から出て大阪にいる間、武家のような恰好をしてみたがっていた、という風について述べた後に、「江戸から来ている手塚という書生があって」と紹介されます。フルネームで紹介されていないのは、諭吉にとって印象が薄かったのか、と思うと少し残念な気がします。

f:id:tadakaka-munoh:20210817224122j:plain

適塾二階の大部屋真ん中の柱 傷跡は刀によるものがそうです

手塚良仙は、見栄えがする立派な男でしたが、身持ちが良くない(遊郭での遊びが好きな人物だったようです)、と最初から散々な言われようです。

ある時福沢が、「真面目に勉強する気があるなら、僕が毎日講義してやるから、北の新地(曽根崎新地)には行くのはよせ」と注意してやリました。すると、本人も最近新地でひどい目にあったものか、「新地か、今思い出してもイヤだ。決して行かない」と言います。

とはいえ、いつ約束を破るかもしれないので、「証文を書け」「どんなことでも書くよ」となり、「今後はしっかり勉強する」ということで証文を書きました。

その内容というのが、「今後はきっと勉強する、もし約束を破った場合、坊主にされても構わない」というものでした。その後、良仙は約束を破ることなく、心を入れ替えたように勉強します。

福沢は年を取ってからはいざ知らず、若いころはいくつものやんちゃ話で自伝を盛り上げていますが、ここでも熱心に勉強を続ける良仙を、逆に面白くない、と考え、三人の塾生を仲間にして、良仙を罠にはめようとするのです。ここで表題の「遊女のにせ手紙」が登場するのですが・・・この続きは次回で。