三日間続いた狸たちと住職の大騒ぎですが、四日目の晩、ぴたりと止まってしまい、住職はどうしたことかと思っていました。翌朝、境内の庭を見たところ、そこに大狸が腹を破って死んでいます。三日間の狸囃子の間、腹太鼓で音頭をとっていた大狸でした。
住職は、その狸を哀れに思い、手厚く弔ってやりました。
以上が「證誠寺の狸囃子」の伝説なのですが、何とも物悲しいようなラストです。
證誠寺境内には、狸塚が残されています。(昭和四年のものらしいので、住職が弔った際に建てられたものではないですが・・)
前回ご紹介したように、この伝説は地元の文芸誌で紹介されたくらいの、どちらかというとマイナーな話でしたが、これを今に伝わるほどメジャーにしたのが、童謡「証城寺の狸囃子」です。
詩人で童謡の作詞家でもある野口雨情が木更津を訪れた際に、童謡の題材としてこの伝説を知らされ、大正13年(1924)に児童雑誌「金の星」12月号に詞を発表、翌月(大正14年1月号)に作曲家中山晋平が曲をつけたものが発表されます。
さらに昭和4年(1929)この歌がレコード化され、ヒットしたことから全国的に知られるようになりました。上の狸塚は、レコードがヒットして作られたものでしょうか。
伝説の舞台は「證誠寺」、童謡は「証城寺」。證は証の旧字体なので同じ字として、誠と城の違いはなぜ起きたのか。wikipediaによると、3つほど説が紹介されています。
・作詞の際に参考にした文献の表記が間違っており、それに気付かずそのまま紹介してしまった
・歌詞を読んだ寺の関係者から「住職がタヌキと一緒に踊るなんてことがあるはずがなく不敬である」という抗議があった
・あえて「証城寺」として架空の場所であると位置づけることで、特定の地域の単なる民謡とするのではなく全国の子供たちに歌ってほしいという意図
個人的には、最後の説を採りたいと思います。童謡の楽し気な歌詞・旋律と元の伝説の悲しいラストを結び付けたくなかったのではないでしょうか。
今年11月から始まるNHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」は、昭和21年(1946)からNHKラジオで放送された「英語会話」をめぐるお話だそうですが、この番組のテーマ曲は、「カム、カム、エヴリバディ~」で始まる「証城寺の狸囃子」のメロディーでした。秋からはこのメロディーが日本中に流れる機会が増えそうです。
證誠寺のお話は以上ですが、狸のお話、もう少し続きます。
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