おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ラジオ・リスナーの嘆き5

昭和二十年(1945)8月14日の午前会議で、ポツダム宣言の受諾が決定されます。併せて昭和天皇はラジオで直接国民に呼びかけることも表明されました。当日十三時には、宮中で録音を行うことが放送協会に通達され、十五時から録音準備作業が始められました。日本電気音響製のDP-17-K可搬型円盤録音機が皇居拝謁間に設置されています。

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同型の録音機(放送博物館

日本電気音響株式会社」は当初は昭和九年(1934)に「日本電気音響研究所」として設立されました。昭和十四年(1939)に「株式会社日本電音機製作所」として株式会社化し、国産の円盤式録音機を完成させるとともに、「DENON」のブランドを使用するようになりました。「日本電気音響株式会社」に昭和十九年(1944)改称しています。

さて、録音準備は十六時に完了、当初、録音は十八時から開始される予定でした。しかし、読み上げる終戦詔書の最終稿を修正して時間が大幅にずれ込んでしまいます。

昭和天皇がマイクロホンが設置された政務室(録音機の設置された拝謁間の隣にありました)に入ったのが二十三時二十五分、石原宮内大臣、藤田侍従長らの見守る中、詔書の朗読は始められました。二度録音が行われましたが、一度目の録音音声が低かったことから、昭和天皇より再度録音の提案があったとされています。

約5分間の玉音放送ですが、DENON製のセルロース製の円盤に記録されました。当時の円盤は一枚で三分しか録音することができず、複数枚で記録されています。

録音作業は午前一時過ぎまでかかって終了しました。ここで、録音盤をどのように保管するかで宮内省と放送協会の主張が分かれます。日本の降伏に反対する陸軍・近衛師団の一部に不穏な動きがあったからです。

玉音放送の話が続きます。