おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ラジオ・リスナーの嘆き4

この時期、日本は戦争への道を進んでいくわけですが、昭和十六年(1941)のラジオの受信契約者の数は662万件と、前年度比で約100万件増加しました。10年前の昭和六年(1931)年末が、放送開始後五年でやっと100万件を突破するくらいでしたので、契約者数が飛躍的に伸びたことがわかります。

これは日本政府がナチスドイツと同様に、「一戸に一台のラジオ受信機」をスローガンに、政策として聴取者の増大を重要政策としていたことに起因します。

そして、昭和十六年(1941)十二月八日午前七時、ラジオから米国・英国と戦争状態に入ったことを伝える臨時ニュースが流れます。太平洋戦争開戦のニュースです。

戦時下の放送では、戦局を含むニュースの回数・割合が増加し、敵国に放送を傍受された場合に日本に不利となる、という考えから天気予報は中止されました。

米英系の音楽なども放送されることがなくなり、戦局のニュースは、いわゆる大本営発表に基づくものです。戦局悪化とともに、ラジオ受信機の製造、部品調達ができず、放送は時間が短縮されるようになっていきます。

そして、昭和二十年(1945)八月を迎えます。終戦、というと「玉音放送」を思い浮かべます。

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玉音放送の録音を行った日本電音製録音機 

放送博物館にはこの「玉音」を録音した機器や、放送の際のニュースアナウンス原稿が展示されていますが、この辺りの話は次回に。