おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

浪費の休日 テレビの泉

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます。

放送博物館の「ヒストリーゾーン」はラジオの歴史コーナーの後、テレビの歴史に関する展示があります。残念なことに、このコーナーの最初に展示されている「イ」の字の映されたブラウン管の実験の様子の展示は撮影不可でした。(テレビ放送当時、テレビは白黒でブラウン管を使用していました。液晶テレビの製品としての初登場は1982年、普及し始めたのは21世紀になってからです)

二十年ほど前に、仕事の関係で浜松に住んでいましたが、そのときにこの「イ」の字の「テレビジョン発祥の地」の碑を目にしていました。(スマホのない時代なので手元に写真がありません・・が、グーグルマップで「テレビジョン発祥の地」で検索するとご覧いただけます)

また、浜松駅の南側にあった「浜松科学館」で、その実験の様子が展示されていたので、放送博物館の展示を見たときに、浜松の展示に再会した気分でした。

浜松の展示を見たときに最初に思ったのが、ホラー映画「リング」のブラウン管に映った「貞」の文字のシーンでした。リングの作者である鈴木光司先生は浜松のご出身。

しかも上記「テレビジョン発祥の地」の碑の北300Mくらいのところにある浜松北高校の卒業生ということから、このシーンのイメージが生まれたのかなどと想像したりもしました。

それはさておき、この実験が行われたのは大正十五年・昭和元年(1925)十二月二十五日のこと。なんとこの日は、大正が終わり昭和が始まった日でもあります。

世界で最初に、「テレビの父」と呼ばれる高柳健次郎助教授(浜松工業高等学校、現在の静岡大学工学部にあたる)が、電子式テレビ受像機(ブラウン管)を用いて「イ」の字の電送・受像成功しました。当時の日本のテレビ技術は世界の先端をいくものだったのです。

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反射式テレビ受像機(放送博物館

昭和六年(1931)、放送協会はテレビジョンの研究を開始します。十年後に予定されていた東京オリンピックのテレビ放送を実現することを目標としていました。昭和十二年(1937)には、高柳もNHKに出向しテレビ受像機の研究を本格的に開始します。