おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

テレ日是好日3

元々、日本テレビがテレビ放送予備免許を取得したのは、昭和二十七年(1952)七月のこと。NHKの予備免許取得は同年十二月、ラジオ東京テレビ(現在のTBS)が翌年一月でしたから、日本最初のテレビ放送は、日本テレビが実施していた可能性もあったわけで、実際にNHKとの間に先陣争いが繰り広げられていました。

結局その争いは、日本テレビアメリカに発注していたテレビ電波送信設備の到着が遅れたことから、昭和二十八年(1953)二月一日にNHK(放送設備をほぼ国産品で調達していました)が日本最初のテレビ放送を開始、前回ご紹介の通り、日本テレビの放送開始は半年後のことでした。

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放送博物館エントランスのテレビ展示

民間放送の収益源は、スポンサー企業からの広告費です。が、聴取者の多い民間ラジオ放送にはお金を出しても、視聴者の少ないテレビ放送に気前よくお金を出すスポンサーは多くはありません。しかもラジオ東京テレビ(現在のTBS)と異なり、日本テレビはラジオ局を持っていません。テレビ広告の収益に頼る他がなかったのです。

そこで、正力松太郎の生み出した策が、人の集まる盛り場にテレビ受像機を設置し、多くの人にテレビを見せることでした。米国RCA製の27インチの受像機20台(一台が約55万円!)を関東周辺の各地に設置、その後も増設によって8月の放送前に首都圏の55か所に220台が設置されます。この「街頭テレビ」はご存知の通り、多くの群衆を集めます。開局二日目の巨人VS阪神戦の中継から、街頭テレビに人が押し寄せます。

二か月後に生中継された世界ボクシングタイトルマッチ(白井義男VSダド・マリノ戦)には、新宿西口に設置された一台のテレビ(27インチTV=ブラウン管の対角線の長さが約65CM)の小さな画面に、2000人の群衆が押し寄せるという、今でいうパブリック・ビューイングの光景が全国の街頭テレビで繰り広げられたのです。

更には翌年二月に日本国技館で行われた、力道山・木村政男組VSシャープ兄弟のプロレス試合に至っては、有楽町の街頭テレビ(新宿西口との説も)で試合を試聴した人数が2万人にも上り、国民を熱狂させました。(放送博物館でもこの展示がありましたが、撮影禁止でした)

企業は、広告媒体としてのテレビ放送の威力と成長性を目の当たりにし、スポンサー問題は一気に解決します。

テレビ創世記が続きます。