おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ラジオ・リスナーの嘆き7

よくドラマなどで、玉音放送の放送時に、昼のラジオの前に人が集まって聞いている情景が描かれています。お昼時なので、食事をしたり仕事中の人もいるはずなのに、何故皆がラジオの前に集まっていたのでしょうか?

これは、前日の夜二十一時当日の朝七時二十分過ぎの朝のニュースにおいて、「十五日正午より、天皇陛下自らが放送されるので、国民全員が玉音を拝するように」「官公署、事務所、工場、停車場、郵便局などでは手持ち受信機を活用して国民がもれなく放送を聞けるように手配すること」が通知されていたためです。

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八月十五日当日のニュースアナウンス原稿

正午の時報の流れた後、「只今より重大なる放送があります。全国の聴取者の皆様、ご起立願います」というアナウンスに続き、下村情報局総裁が「天皇陛下におかせられましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣らせ給うことになりました。これより謹みて玉音をお送り申します」と述べ、君が代奏楽の後、玉音放送が再生されました。

玉音放送そのものは約五分くらいですが、録音再生の後にはまた君が代の奏楽、総裁による玉音放送終了宣言に続いて、あらためて玉音放送と同じ内容の終戦詔書の朗読や鈴木内閣の告諭などが続き、お昼の放送は三十七分間で終了します。

この放送は、天皇自身が終戦(敗戦)を国民に伝え、「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」の箇所はよく知られるところです。

その後にも「もしそれ情の激する所 濫りに事端を滋くし 或いは同胞排擠 互いに時局を乱り 為に大道を誤り 信義を世界に失うか如きは 朕最も之を戒む」(もし、激情のゆえにむやみに事件=騒動をたくさん起こしたり、あるいは同胞を陥れたりすることで互いに世の中を混乱させ、人としての道を誤り世界から信頼を失うような行為は、私が最も戒めるところである)と、国民に対して冷静な対応を呼びかけています。この放送がなければ、国内は主戦を受け入れる派と、否定する派に分かれてしまっていたかも知れません。

敗戦を受け入れた翌々日の十七日から、統制で中止されていた天気予報が、九月十九日には、「実用英語会話」も再開されます。十月一日から「英語会話」が始まり、翌年二月から平川唯一が担当を引き継ぎ、「カムカム英語」として親しまれました。

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放送博物館「カムカム英語にいらっしゃい」展示(1月6日まで)あいさつ

敗戦後、ラジオは放送の自由を得、その後民間の放送局を加え現在に至ります。ラジオ放送の話は以上で終わりです。最後までお付き合いいただきありがとうございました。