昭和三十四年(1959)年明け時点で、東京のテレビ放送局はNHK(総合)、日本テレビ、KRテレビ(ラジオ東京テレビ⇒現在の東京放送・TBS)の三局で、チャンネルはそれぞれ「3」「4」「6」でした。前年十二月に日本電波塔(東京タワー)が開業したものの、まだ切替がされておらず、各自の電波塔から送信がされていました。
一月十日、四つ目のチャンネルが誕生し、東京タワーから最初に電波を送信しました。チャンネルは「1」、NHK教育テレビです。当時は、NHK総合テレビと教育テレビのチャンネルが逆ですね。
約三か月後の四月六日、NHK総合テレビと教育テレビは送信所を入れ替え、総合テレビの電波が東京タワーから送信されるようになります。これは放送エリアを関東一円に拡大するためで、その際チャンネルは1⇔3が入れ替わり、現在に至っています。(ちなみに私は関西に生まれ育ったため、教育テレビは12チャンネルでした)
日本テレビとKRテレビが送信所を切り替えるのはまだ先の話なのですが、NHKが送信所を切り替えるまでの間に、東京に二つのテレビ局が東京に誕生し、東京タワーから電波を送信しています。
二月一日 日本教育テレビ(現在のテレビ朝日 チャンネルは「10」)
三月一日 フジテレビジョン(チャンネルは「8」)
さて、NHKが送信所を入れ替えた四日後の四月十日、前回ご紹介したビッグイベント「ご結婚式」「ご成婚パレード」が行われました。
この日のNHK総合、日本テレビ、KRテレビの番組表を見ると、放送開始から一日中この式典やお二人の思い出などを放送し、その日のテレビがご成婚一色であったことがわかります。
この日この報道のために用意されたテレビカメラは、NHKが32台、日本テレビ38台、KRTV36台の合計108台、スタッフは合わせて千人以上が動員されたといいます。
ご成婚放送の話が続きます。