おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

浅間浅間よ朝陽が登る6

葛飾柴又といえば、寅さんシリーズの舞台として知られていますが、柴又のすぐ東には江戸川が流れ、向こう岸は千葉県松戸市矢切で、両岸を「矢切の渡し」の渡し船が繋いでいます。現在も運行されていて、渡し船で東京と千葉を行き来するという、貴重な体験をすることができます。

松戸(矢切)側の船着場から 向こう岸が柴又です

そして柴又の帝釈天、正式な名前は経栄山題経寺、といい日蓮宗のお寺です。東京下町の代表的な観光スポットとして知られ、京成金町線柴又駅から山門まで草団子やせんべいの店などが並んでいます。

柴又帝釈天山門 境内に入ると「男はつらいよ」のテーマが流れます

柴又帝釈天については改めてご紹介する機会があると思いますが、ここでは浅間山噴火の際の遭難者の話を進めます。
帝釈天の最寄駅は先ほど出た「柴又」駅なのですが、750Mほど南に北総鉄道の「新柴又」駅だあります。この駅の北100mのところに「題経寺墓地」があるのですが、すぐ隣に「宝生院」という柴又七福神の一つとして知られたお寺があるので、その一角と錯覚しそうです。が、確かに入口に「題経寺」の文字があります。
この墓地に入るとすぐ「浅間山川流溺死者供養碑」が目に入ります。

柴又題経寺墓地に建てられた供養碑

浅間山から約200KM、全く見知らぬ地に漂着した遭難者たちの遺体を、他人とはいえど柴又村の人々は放っておくことが出来なかったのでしょう。供養碑の表面には「何妙法蓮華経」のお題目の下に、「川流溺死之老若男女一変死之魚畜等供養塚」の文字があります。

供養碑の案内板

「ええ樹を養う~横綱の松」でご紹介した小岩善養寺にも浅間山噴火横死者供養碑が建てられています。

善養寺の供養碑

こちらの供養碑は噴火の直後ではなく、寛政七年(1795)の七月に十三回忌の供養の際に建てられたものとのことです。浅間山の噴火や、それに伴って発生した天明泥流の犠牲者の慰霊碑は、浅間山から吾妻川利根川、江戸川沿いの各地に約120ヶ所分布しているそうです。

噴火とその後の山津波の災害については以上ですが、この噴火がもたらした被害はこれだけではありませんでした。次回に続きます。