おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

浅間浅間よ朝陽が登る2

歴史資料の上では約90回の噴火記録(うち約20回に被害記録)のある浅間山ですが、「天明大噴火」(天明三年=1783年)は過去のどの浅間山噴火よりも大きな被害をもたらしました。

この前後には地球全体の火山活動が活発だったのか、1770年以降1783年までだけでも、

1772年 インドネシア:パパンダヤン山

1775年 インドネシア:ガマラマ山

1779年・1781年 鹿児島・桜島

1783年 アイスランドラキ火山  日本:青ヶ島 浅間山

で大きな被害をもたらした噴火が発生しています。

噴煙を上げる桜島

歴史的にも大きな影響をもたらしたのは、「天明大噴火」と同じ年に発生した、アイスランドラキ火山の噴火です。その際吹き上げられた火山灰によって、西ヨーロッパは極端な冷夏となり、その後の飢饉の原因となりました。噴火による硫黄化合物の有毒ガスと飢饉によりアイスランドの人口の21%が失われただけでなく、イギリス、フランスでも有毒ガスによる死者が発生しています。噴火後の異常気象は、フランスに1785年以降、数年間にわたった食糧不足をもたらし、結果としてフランス革命の原因の大きな一つとなりました。

すっかり日本から話がずれてしまいました。浅間山の話に戻ります。

この時の浅間山は、突然大噴火を起こしたわけでなく、数か月前から火山活動が活発化していました。

最初は4月9日のこと。この日付は旧暦で、現在の暦でいうと5月9日にあたります。これ以降すべて旧暦で表記しますので、新暦では約1か月ずれがあると思っていただければいいと思います。このときは地鳴りで、その後5月26日、6月27日と、噴火したかと思うと沈静化するような状態でした。翌日の28日からは、ほぼ毎日噴火と爆発を起こすようになり、爆発の勢いも増していきます。この時期でも江戸や銚子で火山灰が降ったり、障子が振動したことが伝わっています。浅間山と江戸の距離は直線にして約200キロ、今のようにテレビなどで各地のニュースをリアルタイムで知ることはできません。

江戸の人々が何が起こっているかわからず、不安に思ったであろうことは想像に難くありません。一方地元はそれにも増して不安な毎日を過ごしていたことと思います。

そうした中、七夕の節句7月7日を迎えます。続きは次回で。