おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

Smoking on the water

ようこそのお運び厚く御礼申し上げます
私は煙草を嗜みませんが、落語で扇子を煙管(キセル)に見立てて、煙草入れ(架空)から刻み煙草を詰めて(これも煙草入れに見立てた手拭いから取り出します)火を点け、一服しては灰を落とす、というおなじみの落語の所作は好ましく思えます。

「芝浜」の波打ち際で一服するシーンや、「あくび指南」で船の上で一服しながらあくびをするシーンなど、ゆるやかな気分で安らいだ雰囲気が醸し出されます。

煙草盆 煙管(キセル) 刻み煙草 煙草入れ 江戸時代の喫煙具

いくら嫌煙が進んだところで、落語のこうしたシーンに目くじらは立てないでいただきたいものです。

さて、こうした憩いの間を演出する「たばこ」ですが、大航海時代に南米からヨーロッパに伝わり、日本には鉄砲伝来と同じ時期にポルトガルから伝わりました。

タバコの葉

すでに16世紀末期から徳川時代の初期には、鹿児島県の出水(いずみ)や指宿(いぶすき)、長崎付近で煙草の栽培がおこなわれ、それにつれて喫煙の習慣も全国に広まっていきますが、幕府は「禁煙令」を発するだけでなく、農民に対してたばこ栽培の禁止令をも発しています。

この禁令の背景は、ひとつに「風紀の乱れ」をの抑制が挙げられます。反社会的な浪人集団=傾き者(かぶきもの)が京の街などに現れ、人々に乱暴狼藉を働いていました。これらの集団のシンボルが渡来した新しい習慣である「喫煙」であったことから、彼らの統制のために禁煙令を出した、というもの。

もう一つの理由が、喫煙の普及により、米より実入りの良い煙草栽培を選ぶ農家が増え、年貢米現象を懸念した幕府が、農家による「たばこ」の栽培を禁じた、というものです。しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、喫煙の習慣が止むことはありませんでした。為政者の側も、「たばこ」に対して課税を行うことで税収を確保するなどしたことで、徳川綱吉の時代を最後に、たばこに関する禁令の類は出なくなりました。

江戸時代のたばこの話、続きます。