ようこそのお運び厚く御礼申し上げます
私は煙草を嗜みませんが、落語で扇子を煙管(キセル)に見立てて、煙草入れ(架空)から
「芝浜」の波打ち際で一服するシーンや、「あくび指南」で船の上で一服しながらあくびをするシーンなど、ゆるやかな気分で安らいだ雰囲気が醸し出されます。
いくら嫌煙が進んだところで、落語のこうしたシーンに目くじらは立てないでいただきたいものです。
さて、こうした憩いの間を演出する「たばこ」ですが、
すでに16世紀末期から徳川時代の初期には、鹿児島県の出水(いずみ)や指宿(いぶすき)、長崎付近で煙草の栽培がおこなわれ、それにつれて喫煙の習慣も全国に広まっていきますが、幕府は「禁煙令」を発するだけでなく、農民に対してたばこ栽培の禁止令をも発しています。
この禁令の背景は、ひとつに「風紀の乱れ」をの抑制が挙げられます。反社会的な浪人集団=傾き者(かぶきもの)が京の街などに現れ、人々に乱暴狼藉を働いていました。これらの集団のシンボルが渡来した新しい習慣である「喫煙」であったことから、彼らの統制のために禁煙令を出した、というもの。
もう一つの理由が、喫煙の普及により、米より実入りの良い煙草栽培を選ぶ農家が増え、年貢米現象を懸念した幕府が、農家による「たばこ」の栽培を禁じた、というものです。しかし、幕府による度重なる禁令にも関わらず、喫煙の習慣が止むことはありませんでした。為政者の側も、「たばこ」に対して課税を行うことで税収を確保するなどしたことで、徳川綱吉の時代を最後に、たばこに関する禁令の類は出なくなりました。
江戸時代のたばこの話、続きます。