おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

Smoking on the water4

刻みたばこの製法についてご紹介してきましたが、これを入れる袋と、喫煙具である煙管(キセル)を入れられるよう、専用の筒状の袋を合わせて持ち歩けるようにしたのが「煙草入れ」で、時代が下がるとともに機能性だけでなく、装飾性も増していきます。

これは、江戸幕府から庶民が着飾ることを禁止する「倹約令」がたびたび発せられたことで、衣服以外のこうした小物に「粋」を利かせたものでしょう。

煙草入れいろいろ 左上が「提げ煙草入れ」中央下が「腰差し煙草入れ」

一方で喫煙具にあたる煙管ですが、当初のものは、煙草を詰めて火をつける「火皿」を含む「雁首(がんくび)」の部分と、口をつける「吸口(すいくち)」は主に金属で作られます。その二つを筒状の「羅宇(らう)」で繋げました。この形の煙管を「羅宇煙管(らうきせる)」と呼びます。

「羅宇(らう)キセル

「羅宇」は羅宇の語源は、羅宇国で産出する竹(黒斑竹)を使用していたから、といわれます。羅宇国とは現在の「ラオス」を指します。煙草を吸うとヤニが付着するので手入れが必要です。江戸時代には、煙管(キセル)の修理と清掃が専門の職人、「羅宇屋(らうや、或いはらおや、とも)」という職業がありました。昭和の東京オリンピックが開催された昭和三十九年(1964)にも、まだ東京に4軒の「羅宇屋」が残っていたといいますが、平成十九年(2007)頃には東京最後の羅宇屋さんも廃業されたようです。

「羅宇キセル」に対して全体を金属(ガラスのものも)で作った「延べ(のべ)キセル」が造られ、表面に精巧な彫刻が施されるようになっていきます。こういうところにこだわるのが、江戸っ子の「粋」として誇ったものなのでしょう。

ちょっと珍しい煙管として「けんか煙管」といわれるものもありました。

けんか煙管

全体が鉄でできており、通常の煙管と比較して明らかに太く重く作られています。(長さは30-50㎝位で、これは花魁などが使った煙管はもっと長いものがありました)江戸時代に帯刀を許されなかった町奴が護身用に携帯していたもので、「警棒」のように打撃用にも使用したのでしょうか。

高校のころですから、今から四十年くらい前に、NHKで「なにわの源蔵事件帳」という時代劇(といっても維新後の大阪が舞台なので明治初期?)があり、故桂枝雀師匠がこんな感じの煙管を十手のように使っていたような記憶があります。

本日は喫煙具についてご紹介しましたが、次回はこの煙管が主題の落語「岸流島」をご紹介します。