おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

三べえ回って煙草にしょ~天狗分け目の戦い4

岩谷松平の天狗煙草が「赤」をイメージカラーとしたのに対し、村井は白ずくめで対抗、岩谷が当時珍しい自転車で宣伝部隊を繰り出すと、村井は馬車を先頭に音楽隊をパレードさせるなど、宣伝はどこまでもエスカレートしていきます。

村井商会のタバコ宣伝車(タバコ店への配送車を兼ねています)

また、相手を誹謗中傷するような広告合戦が繰り広げられ、岩谷に至ってはそのために「国益新聞」という新聞を発行するほどでした。この二人はたばこ業界だけでなく、全産業界において広告主のナンバー1、2を争っています。

そうした宣伝合戦に批判的な目もありました。当時、「広告行列のために往来を遮断され妨害されるのは我慢ならない」という趣旨の投書も寄せられています。

また、懸賞付きのタバコ販売も行われ、その景品も次第にエスカレートします。村井商会はが新製品「バアジン」発売にあたって金時計や自転車を懸賞の景品とした際は、「富くじ類似行為」とされ、即日禁止が言い渡され、罰金1円の過料を受けました。後日最終的に裁判で無罪が言い渡されましたが、こうした販売方法にも社会の批判を浴びました。

衆目を集めたタバコの販売・宣伝合戦ですが、明治三十七年(1904)に終焉を迎えます。国家の財源確保(この年二月に日本はロシアに宣戦布告、日露戦争が開戦しています)のため、「たばこ」の製造から販売までを国が管理する「煙草専売法」が七月に施行されたのです。

千葉商店が専売開始にあたって出した広告

専売制開始にあたって、煙草製造業者は廃業にあたって補償金を支払われ、それを元手にに新たな分野に進出していくことになるのですが・・・

次回以降では、岩谷・村井のたどったその後についてご紹介していきます。