村井吉兵衛が岩谷松平と対象的といわれる理由の一つに、「ハイカ
これ
帰国後更に改良を重ねた結果、明治二十七年(1894)、国産タ
さて、吉兵衛が行った販売促進策のひとつに「タバコカード」と呼ばれる「おまけ」を付けたことにあります。トランプや花札、女性の写真などをカードにしてタバコの箱に同梱したわけですね。
当時は喫煙に年齢制限はありませんでした。それが明治三十三年(1900)に「未成年者喫煙禁止法」が施行され、文字通り「たばこは二十歳になってから」となりました。
子どもたちは「たばこカード」に夢中になり、カード収集のため喫煙する子供が急増し、政府は慌てて法令で年齢制限を行ったのでした。
また余談になりますが、この時期に京都にあった花札製造会社が、トランプの製造を始めます。創業者の山内房治郎は村井吉兵衛と知り合いでしたので、村井商会が全国に持つたばこ屋の販売ルートを利用して、トランプ・花札というカード類の販路を大きく広げることに成功しました。そして日本のトランプ・花札の最大手となったこの会社の名は「任天堂」といいます。タバコの宣伝合戦が東で広告代理店、西でゲーム会社を発展させていった、というのも興味深い話ですね。
話は戻って、次回以降もタバコ宣伝の話が続きます。