おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

三べえ回って煙草にしょ~天狗分け目の戦い3

村井吉兵衛が岩谷松平と対象的といわれる理由の一つに、「ハイカラ」なイメージがあります。明治二十四年(1891)に発売したサンライズ」はネーミングもさることながら、日本ではまだ普及していない「両切タバコ」(これについては前々回ご紹介しました)でした。

これが大いに人気となった後、吉兵衛はアメリカに渡り視察を行ないます。このときの渡米の経験を活かし、タバコの製造や葉タバコの買付、宣伝方法などに工夫を懲らしていきます。
帰国後更に改良を重ねた結果、明治二十七年(1894)、国産タバコとアメリカ産タバコをブレンドした「ヒーロー」を発売、更に人気を高めました。同年、「合名合資会社村井兄弟商会」を設立します。「兄弟商会」というのは、彼は次男で叔父の養子となっていたのに対し、本家を継いでいた実兄と組んで設立した会社だったことが由来です。

京都東山区の特別老人ホーム敷地内に残る「村井兄弟商会」標石

さて、吉兵衛が行った販売促進策のひとつに「タバコカード」と呼ばれる「おまけ」を付けたことにあります。トランプや花札、女性の写真などをカードにしてタバコの箱に同梱したわけですね。

タバコのおまけ「タバコカード」

当時は喫煙に年齢制限はありませんでした。それが明治三十三年(1900)に「未成年者喫煙禁止法」が施行され、文字通り「たばこは二十歳になってから」となりました。

子どもたちは「たばこカード」に夢中になり、カード収集のため喫煙する子供が急増し、政府は慌てて法令で年齢制限を行ったのでした。

また余談になりますが、この時期に京都にあった花札製造会社が、トランプの製造を始めます。創業者の山内房治郎は村井吉兵衛と知り合いでしたので、村井商会が全国に持つたばこ屋の販売ルートを利用して、トランプ・花札というカード類の販路を大きく広げることに成功しました。そして日本のトランプ・花札の最大手となったこの会社の名は「任天堂」といいます。タバコの宣伝合戦が東で広告代理店、西でゲーム会社を発展させていった、というのも興味深い話ですね。

話は戻って、次回以降もタバコ宣伝の話が続きます。