おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

煙草(なつくさ)や つわものどもが煙のあと4

前回「珍物画伝」から、豚天狗となった岩谷松平の話を紹介しました。「珍物画伝」は、元々奇行で知られた人物を紹介する、新聞(おそらく大阪朝日新聞)のコラム的な連載記事でした。本としては明治四十二年(1909)に発刊されていて、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。
「珍物子」という人物が編集したというこの本は、全部で百人の「珍物」を紹介していて、岩谷松平は二十八番目に出てきます。前回の豚の話の他に、妾や子供が大勢いるという記述や、渋谷の邸宅内の様子として、『掛物は大きな絖本(ぬめ:絹布の一種)に「大安売(原文は旧字体)と筆太に書いて、「岩谷松平謹書」と遣ってある』という記述があります。

簡単に言い直すと、「絹地に自筆で「大安売」と書いたものが掛かっている」ということですが、この「大安売」と書かれた看板を見ることができます。

水道橋は白山通りの東側に「かつ吉 水道橋店」というとんかつ店があります。

かつ吉 水道橋店

店の外側に掲げられた木の看板はいずれも一枚板を用いた立派なものですが、真ん中の看板に「大安売」の三文字が書かれています。

「大安売」の看板 右上に「東洋煙草大王」左に「岩谷松平」の印が

「かつ吉」のHPに「店主の能書き」として、現会長の吉田次郎さんがいくつかエッセイのようなものを遺しておられます。その中の「かつ吉ととんかつ」の中でお店の歴史について触れた部分がありました。

「かつ吉」という名前は、私の父、吉田吉之助が初めてとんかつの店を出した時につけた名前です。そのあと、とんかつについて触れた後、父親の出自を語っています。

父の吉田吉之助の父・すなわち私の祖父は岩谷松平という人でした。

かつ吉のHPには、創業者吉田吉之助さんを紹介する信濃毎日新聞の記事が載せられていますが、それによると煙草専売後、岩谷家は没落し、当時小学校三年生だった吉之助は一人、岩谷の会社で役員を務めた実業家、吉田家の有明村(現安曇野市穂高有明)の家に引き取られた。

とあります。吉之助さんは岩谷松平の全盛期を知らず、家産が傾いたのちに、岩谷商会の番頭であった吉田市恵とその兄で有明村長であった吉田太内の兄弟に預けられ、信州の地で育ったのでした。

かつ吉の話、続きます。