おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

煙草(なつくさ)や つわものどもが煙のあと6

また、同じく包丁余語第四号の「肉食談義」では、日本における肉食の歴史について神代の時代から、奈良・平安そして江戸・明治以降まで切々と述べていきます。

その中に「明治十年、西南戦争で家を焼かれ、食うに困った薩摩の一青年が上京してきた」とのくだりがあります。「旅に疲れていた青年は、新橋駅で汽車を降りると、何気なく駅前の西洋料理屋の暖簾をくぐり、豚肉料理を注文したが、おあいにくと断られ、それではというので、ビフテキを注文した。久しく栄養に欠けていた彼は、ビフテキを食べると、その味が全身に漲り(みなぎり)渡り、大死一番の気概が肚の底に固まり、そこで褌の紐を締め直したということである。」その後、「その青年は故郷の豚が巾がきかないのを見て・・・終生、豚の普及に努めた。」とあります。

その青年こそが、父である岩谷松平でした。

水道橋店内にある振子時計(天狗煙草の絵付き)

その先、天狗煙草の話の他、豚の普及に邁進する松平の行動が紹介されますが、晩年の不遇について、次のように述べられています。

「父の晩年は財政的にはみじめで、内々到来の浄財などの助けをかりて生きていた。」それまでの派手な行動があるだけに、この一節を目にしたときは何とも寂しい気持ちになりました。

水道橋店内に貼られた明治三十年代の銀座

「川内川のガラッパ、岩谷松平は豚にこだわり、人を悩まして男を下げたが、これにも、この川の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたえない深い運命があったのだろう。」という一節には、亡き父の失敗を目の当たりにしつつも、その遺志自らがしっかり関わっている、という心情が込められている気がして心を動かされます。

店中に並べられたそば猪口

内装には、明治の邸宅から持ち出したのかとも錯覚するそば猪口や鉄瓶などが並べられ、古民家を思わせる造りです。過去には川端康成三島由紀夫など昭和の文豪に愛されたお店で、是非一度訪れてその内装だけでなく、明治の煙草王とその子が目指した日本の豚料理、とんかつをご賞味あれ。

長々と書き連ねた日本の煙草の話はここまで。最後までお読みいただきありがとうございました。