おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ハス・ノート(ハスの音)2

前日夜から池畔にある料亭に参加者が集合し、ハスをテーマとする研究発表や議論が行ないました。博士の見積もりでは、当初50人くらいだと思っていた参加者が、実際には150人にも膨れ上がったそうで、料亭では料理や飲物を手配するのに大わらわだったようです。参加者の中には牧野富太郎、三宅驥一の両博士の姿もありました。植物学者はほぼ「無音派」だったようです。
博士が著した「ハスと共に六十年」では、この最初の観蓮会についてこのように振り返っておられます。
「翌早朝五時を期し不忍池畔を逍遥して弁天島の東岸に佇んだ。そしてまさに開かんとする蓮花の前に聴き耳二百を立てたあとで、報道陣に対してハスの開花の無音無声の衆議を発表したところが、誠に、実に、天下の大問題となり、国の内外が喧々囂々、投書が東西各新聞の社会欄をにぎわした。」

百人以上の人々がハスの開花時に耳をすませました

「聞き耳二百」というのが、参加者が二百人に増えたのか、それとも百人の2つの耳で二百なのかはわかりませんが、とにかくも開花の音を誰も聞くことはなく、「音はしない」との結論に達します。東京植物同好会の坂崎幹事が「ハスの花は音をたてないことに決定しました」と一同にふれて回りました。これが新聞で発表されると、各新聞の社会欄を賑わすほどの騒ぎとなったのでした。

この騒ぎの一年後の同じ日、、今度は日本放送協会に依頼してマイクロフォンを準備しましたが、やはり開花の音はなく、鯉か鮒がたてたと思われる水音くらいしかありませんでした。その年の7月25日の読売新聞夕刊に「マイクも沈黙して音なく咲く蓮の花」「三度目の実験、俗説を破る」と放蕩されました。
三度目というのは、明治三十一年(1898)に三宅驥一が観察して最初に発表した実験と、2回の観蓮会を指しています。この報道で「音がする派」の声は小さくなっていった、と大賀博士は後に語っています。ハスの花の開く速度は1時間で約1cm程度、音がするような急激な変化は起こらない、というのが科学的な論証のようです。

次の年の観蓮会でも音は聞こえませんでした

開花の音も、きっと魚や蛙が立てた音か、泥のあぶくが弾けた音だったのかも知れません。しかし、仏教でも神聖な花であるハスですから、鑑賞していた風流人がそれを開花の音と勘違いしたとしてもそれはそれでロマンがあって良いような気もします。

「開花の時に音がしない」ことを実証した大賀博士は、戦後大きな発見をすることになります。その話は次回以降で。