おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

明日に架ける蓮4

続いて二十三区内のハスの名所と知られるのが不忍池です。秋に池のほとりを歩くと、茶色の変色したハスの葉が池を覆っていています。

11月の不忍池 池を覆う枯れたハスの葉

これが春になると鮮やかな緑の葉となり、六月から七月にかけてハスの花を咲かせます。この項で紹介するのはまさに今日七月九日午前八時前後の写真です。

写真の角度は異なりますが、見渡す限り緑の葉と葉の間にハスの花が見られます

安全面を考慮してか、若干池の周りの柵の位置がハスと見る人との距離を隔てているので、花の位置が比較的遠いのが難点ですが、繁殖具合が尋常でないので、池を一周していると撮影ポイントに事欠きません。

更には池の中央に弁天島があり、弁天堂が祀られています。お堂は東京大空襲の際に焼けてしまい、現在のものは昭和三十三年(1958)に再建された鉄筋コンクリート造の新しいものです。再建前が入母屋造であったのに対して、八角形のお堂となっています。

池のどこからでもお参りできるように、という理由だそうですが、池のどの角度からでもお堂は同じように映える利点となっています。

弁天堂とハス 

仏教でもハスは極楽に咲くとされていますし、仏教でも如来は蓮華座というハスの花の上に座し(立っていることもありますが)、観音様はハスの花を手にしていたりと、象徴的な意味があります。そういう意味でお寺のお堂とハスの組合せは似つかわしく絵になります。

池の周りに不忍池とハスについて2つ、ハスについて1つ、案内板が置かれていました。

それによると「先史時代の不忍池は、武蔵野台地の東端に位置し上野台と本郷台に挟まれた入江でした。その後、海岸線の後退とともに取り残されて池になったと考えられています。」とあります。つまりこの場所は元々海の一部だったわけですね。また、弁天島に建てられた石碑によると、上野台と本郷台の間の地名が忍ケ丘(しのぶがおか)と呼ばれていたことが不忍池の地名の由来だそうです。

少し別の角度から お堂の横に雀が映り込みました

延宝五年(1677)に出版された「江戸雀」という江戸の名所案内には、不忍池のハスについて詠まれた和歌「涼しやと 池の蓮を 見返りて 誰かは跡を しのばずの池」が残っていることから、17世紀後半にはこの地がハスの名所であったことがわかります。

不忍池とハスの話、続きます。