反射炉は鉄を溶かす施設ですが、それだけでは大砲を作ることがで きません。鋳型に鉄を流し込んで冷却し、 砲身の外形を作りますが、これだけでは凹凸のある鉄柱にしか過ぎ ません。弾を撃ち出せるよう内部を空洞にしなければならないわけです。 (砲腔:ほうこう をあける、といいます)
この作業(巣中鑽開:すちゅうさんかい、と呼ぶようです)は何種類もの錐(きり)を使って 行いますが、人力で行うことができるようなものではありません。 また、蒸気機関もないことから、動力源として水力を利用することが必須でした。
この作業(巣中鑽開:すちゅうさんかい、と呼ぶようです)は何種類もの錐(きり)を使って
また、反射炉内の温度は1500℃以上にも達するため、それに耐えるため煉瓦(耐火煉瓦)を焼き、それを積み上げて築造します。佐賀藩の築地反射炉の場合、有田焼の職人の技法が活用されたようです。また、藩内からも煉瓦の原料となる土が産出し利用されました。
英龍が築造を計画する伊豆半島においては、天城山中の梨本という地に陶器窯があり、これが煉瓦製造に使えそ
反射炉の築造と大砲の製造は重要な軍事機密であり、この場所では
この年の4月に下田の地から鳴滝の地への移転願いを提出後、着工に入ります。ここから本格的な築造が始まっていくのですが・・。
残酷なことに英龍に残された時間は僅かでした。次回から、彼の最晩年と反射炉の完成までをご紹介します。