おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

押しかけて横浜3

また、皇后も、箱根離宮からの帰りに横浜〜品川間を利用されています。wikipedia昭憲皇太后の年譜・行啓歴の項によると、6月17日に箱根離宮の下温泉に行啓、7月18日に還啓と書かれていました。還啓は復路を指し、皇居に戻られた日にあたるので、明治天皇より先に汽車に乗車されたことになります。(逆にこの先例があったので、後の明治天皇のハプニング発生時に鉄道を利用するという対応ができたのかも、と想像できます。)

さて、仮営業の間、乗車率は80%を超えていたといいますから、相当な人気であったことが伺えます。当時の人々にとってみれば、時速30キロの未知の乗物ですから、乗客はさぞかし自慢げに吹聴したことでしょう。

開業直前の横浜駅桜木町駅構内ギャラリー)

さて、遅れていた新橋〜品川の点検整備も完了し、仮営業半年の後、ついに10月14日(旧暦9月12日)正式開業の日を迎えました。つまり150年前の今日ということなのですが、実は当初の開業予定はその3日前でした。旧暦の9月9日が重陽節句にあたる吉日であったことから、その日に開業する予定だったのですが、暴風雨のため変更されたということです。

開業セレモニーのスケジュール

開業日当日、明治天皇は午前九時に皇居を出発、十時に新橋駅を出発して十一時に横浜着、到着するとすぐに開通式を行ない、とんぼ帰りで十二時横浜駅を出発、午後一時に新橋に着き、今度は新橋側での式典に臨んだといいます。

開業記念列車は9両編成で、機関車のすぐ後ろの1,2号車には、近衛護衛兵が3号車に乗られる天皇護衛のため乗っていました。(護衛のためとはいえ、結構な役得のような気がします)

3号車には明治天皇とその侍従の他、有栖川宮熾仁親王とその侍従、太政大臣三条実美、鉄道頭井上勝などが乗車していました。4号車以降は政府高官、外国公使、工部省関係者、公爵などが名を連ねていますが、西郷隆盛の名前もあります。鉄道反対派の西郷の感想はどんなものだったか、興味のあるところです。

鉄道開業の話。続きます。