おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

待つの労苦3

浅野内匠頭は刃傷のその日のうちに切腹し、取り押さえられた後の幕府役人による聴取では、「私的な遺恨から前後も考えずに、上野介を討ち果たそうとして刃傷に及んだ。どのような処罰を仰せ付けられても異議を唱える筋はない。しかし、上野介を打ち損じたことは残念である」とだけ語っています。

切腹最中」店舗から数分のところにある 浅野内匠頭終焉の地

一方、斬りつけられた方の吉良上野介は、「遺恨の内容について思い当たることはないか?」と問われたのに対し、「恨みを受ける覚えはなく、内匠頭は乱心したと思う。老体の身でもあり、恨みを買うようなことを言った覚えもない」と答えています。

つまり刃傷の加害者は、「個人的な恨み」とだけ語り、被害者は「心当たりがない」と言っていて、幕府公式でも「動機は不明」ということになっています。

松の廊下 刃傷の図 (本所吉良邸)

そのため、この事件の原因については事件当初から色々な俗説・推測が流れました。

吉良による浅野いじめ:利欲深い吉良は、指図役として指南を行う際、「付届け」の少ない相手に対しては、指図を疎かにしたり陰口をたたいたりする人物でした。浅野が吉良に付届けをしなかったので吉良は不快に思い、故意に辛く当たり嘲笑するような行為を繰り返し、浅野は何度の饗応の役目をしくじりそうになっていた、というもの。

また、儒学者室鳩巣の「赤穂義人録」では、更に明確に吉良が指南伝授の際に賄賂を受け取っており、それに対し浅野は贈り物をする気は全くなかった事が吉良との不和の原因、と記しています。そして、当日の刃傷についても具体的な記述があります。

梶川与惣兵衛が浅野内匠頭に「勅答の礼が終わったら連絡してほしい」依頼したところ、横から吉良が口を挟んで、「そのような相談は私にすべきで、そうでないと不都合が生じますぞ」と言い、さらに「田舎者は礼を知らない。またお役目を辱めるだろう」と追い打ちをかけたとしています。その途端、浅野の堪忍袋の緒が切れ刃傷に至った、というのです。先にご紹介した梶川与惣兵衛の日記の記述とは矛盾しているものの、「いじめがなかった」とも言えないことから、当時から有力とされる説でした。

刃傷の原因について、話は続きます。