おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

吉良 KILLER TEAM4

四十七士を出迎えた泉岳寺の記録によると、この時の様子は以下のようなものでした。

この日泉岳寺の僧快舟が門の近くまで行き外を見たところ、見馴れぬ装束をし抜身の槍(原文では「鎗」)を持った3人がやってくるのが見えました。出家の僧らは「これは何をしてきた人達か!」と不審に思って見ているうちに3人は近づいてきます。

泉岳寺中門 山門はこの先にあります

槍に何やら結び付けて2人で運んできました。後で聞いたところによると、槍に結ばれていたのは吉良上野介の首で、運んでいたのは間兄弟(間重次郎、新六郎)でした。

槍に結び付けられた首を運んできます

最初に中門にやって来た3人(間兄弟と岡野金右衛門)に対して、快舟ら出家の僧らは、「あなた方はどちらから来られたお方ですか?見たこともないご様子で、簡単には門を開けて中に入れることなどできません。」と応じています。3人が返答することには、「私たちは、浅野内匠頭の家来で、亡き主君の意趣を継いで、吉良上野介殿の首を討取ってこの泉岳寺に寺まで参ったものでございます。ご心配されるような者ではございません。」

それを聞き、「もっともな御忠義である」「和尚様にお伝えしよう」と僧2人が本堂に報告に向かいます。そうこうしているうち、だんだん後から46人が次々と境内に来られました。その時、門前の町では大勢の見物人が浪士の後に付きまとい、表門近くまでやって来たので、46人衆より見物人の方が大勢となって騒がしくなります。

「牛町の門を閉じるように」と言いつけますが、大勢が押入りそうになりどうすることも出来ません。侍衆13人ほどが振り返って槍を向けると、見物人はどつと後ずさりしたので、やっと門を閉めたることができました。

最初はものものしく怖がっていた僧侶たちが、事情が分かって浪士たちを迎える心情になっていったこと、当時もやはり野次馬が後ろからついてきていたことがわかります。

泉岳寺内に入った浪士たち、続きは次回に。