おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

老いて松々盛ん4

青竜山浄光寺は葛飾東四つ木にある天台宗のお寺ですが、通称「木下川薬師」として知られます。「木下川」と書いて「きねがわ」と読みます。

室町時代の頃、木毛河(きけがわ)を呼ばれていたのが「木毛川」から「木下川」へとと変化し、読み方も「きけがわ」から「きねがわ」に変化したようです。

江戸時代末期のこの地域

上の地図で右端中央下あたりが現在の浄光寺ですが、写真の左側、菖蒲のような花の絵(浄光寺は杜若:かきつばたの名所だったようなので杜若の絵だと思いますが)の左側に「木下川薬師堂 浄光寺」の記載があります。現在は周りの村落を含め、荒川の流域になっています。大正八年(1919)、現在の荒川放水路が開削された際に、現在の位置に移転しました。

上野伊豆にある「上木下川村」「下木下川」は江戸時代に鷹狩りの地として知られ、歴代将軍が訪れたのに加え、浄光寺も徳川家の祈願所となっています。

木下川浄光寺の境内

仁王門から境内に入ると、正面に薬師堂が建ち、右側に藤棚が、左側に松が植えられています。この左側の松が「登美の松」(とみのまつ)です。残念ながら現在の物は二代目だそうですが、初代は三代将軍家光が参詣に訪れた際に手づから植えた松とされ、さらには八代将軍吉宗命名しました。

二代目は樹齢もまだ五十年ちょっと 幹回りや枝回りなどは細いですね

江戸時代の文化・文政期(19世紀初頭)に編纂された「新編武藏風土記稿」には左右に伸びた枝は30mにものぼった、との記載があるようで、初代の松が残っていないのは残念な限りです。もしかすると大正時代の移転が影響したのでしょうか。

ご本尊の薬師如来は十二年に一度しか開帳されない秘仏で、なんと昨年10月にご回避が行われたとお寺のHPに載っていました。知らなかった・・・・

4月下旬には松の向かいにある藤が見ごろを迎えるらしく、松の緑と併せて境内を彩りそうです。その時期にまた訪問しようと思います。

次回は東京の松の真打、をご紹介します。