おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

小さく生んで大奥育てる3

男色にふける家光(寵愛する小姓が3人いたとか)に対して、その血筋が絶えないよう、彼にあう女性を探すことに務め、大奥の基礎を確立します。ドラマでは堀田真由さん演じる家光の命で中臈たちが女装して宴を設けるシーンがありましたが、史実にもこの元になったと思われるエピソードが伝わっています。
「お振の方」の通称で知られる側室自証院は、春日局の養女として大奥に入り、男装して家光に近づくと見事手が付き、最初の側室となりました。

寛永十四年(1637)初めての子となる千代姫を出産しています。ドラマでも「七色飯」(子供の頃食が細かった家光に対し、春日局が種類の異なるご飯を用意した)の話を家光が福士蒼汰さん演じる有功(ありこと=お万の方)に回想を語るシーンがありましたが、「お振の方」のエピソードは、離乳食っぽい(離男色/食?)工夫ですね。
お振の方はその後体調を崩し、三年後の寛永十七年(1640)にこの世を去りましたが、千代姫は後に尾張藩徳川光友正室となり、母を供養するために市ヶ谷富久町に自証院を創建しています。

自証院の霊屋(たまや)は東京たてもの園(小金井公園)に移築保存されています

ドラマでは将軍の最初のご相手を「御内証の方」としています。家光のトラウマから「御内証の方」は死罪となるのが、大奥での決まりとなっていました。本来仏教用語として「内なる悟り」を意味する「内証」ですが、ここでは現在と同じく、秘密=内緒の意味で使われています。
実際の大奥では、「御内証の方」は将軍のお相手となった中臈(側室候補)はすべてそのように呼ばれ、もちろん最初の「御内証」が死罪になるようなこともありません。
ちなみに表向きではそのように呼ばれますが、陰では「汚れた者」、逆にまだ手のついていない者は「お清の者」と呼ばれていました
この辺は「女の園」大奥の羨望と嫉妬が入り交じった感情が見て取れますね。
また、大奥ではかるた遊びのときの「お手つき」は、将軍の「お手がついた」に通じるため、「お間違い」と言い直されていたそうです。
ドラマのストーリーに戻します。福士さん演じる万里小路有功(までのこうじ ありこと)は、慶光院院主を継承し、その挨拶の名目で江戸の将軍に対面、その際に春日局斉藤由貴さん)から還俗し大奥に入るよう脅される、というのが家光篇の導入部分です。次回はこのお万の方(永光院)をご紹介します。