おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

小さく生んで大奥育てる4

「大奥」シーズン1が先日最終回を迎えました。秋のシーズン2へのイントロ含め、続編に期待をもたせる良い最終回でしたね。
このブログはまだ家光篇の追っかけ状態で、お万の方こと永光院のお話です。
諸説あるものの、伊勢の尼寺慶光院の院主跡目の挨拶で家光に謁見したことが伝わっており、ドラマ家光篇でもそのシーンが導入部分となっています。

家光時代の天守閣復元模型

これが寛永十六年(1639)のことで、家光は35歳前後の壮年、お万の方は15歳そこそこという出会いでした。ドラマ(原作)では家光の死後、その娘が引続き家光となっている設定なので、お万の方の方が歳上の関係です。

このとき彼女は尼寺の院主として江戸へ来ているので、当然尼僧の格好で謁見したはずです。尼僧というと、瀬戸内寂聴さんのようなつるつるの頭が思い浮かびますが、剃髪ではなくて「尼削ぎ」という髪型をしていました。

現在でいうとセミロングヘアにあたるでしょうか。そのあたりも家光の男色好みにも合ったのでしょう、気に入られ、側室として大奥に入ります。尼僧を還俗させて大奥に入れるにあたり、春日局の尽力があったようです。この時期、家光には千代姫(前回紹介した「お振の方」との子)という娘はあったものの、世継となる男子がなく、春日局も手段を選ばす側室探し(集め)に関わっていたと思われます。
お万の方は、六条有純という公家の娘でした。ドラマでは万里小路有功(までのこうじ ありこと)となっていて名字から「お万」とつけられたようになっています。史実では諱(いみな←本名)を「満子」ということからつけられたものでしょう。史実でも家光に深く寵愛されますが、その間に子をもうけることはありませんでした。

奥女中の出入に使われた江戸城平川門

これはお万にその能力がなかったのではなく、皇室や公家の娘との間に世継が生まれないよう大奥で管理していたとされています。(皇室や公家が外戚となって権力を持たないようにした)お万もその管理に置かれ、堕胎薬や不妊薬を飲まされていたという俗説も残っています。

次回は話を春日局に戻して大奥の話を続けます。