おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

煩悩の犬、大江戸も去らず

ドラマ「大奥」(原作のコミックでもそうですが)で晩年の綱吉と精神的なつながりで結びついた右衛門佐が大きな存在となっています。将軍の子を残すことを強いられる綱吉に対し、男と女の結びつきとは、それだけではございますまい、と綱吉に言い放ち、二人が結ばれるシーンは仲里依紗さん、山本耕史さんの熱演で、綱吉編屈指の名シーンとなりました。

もちろん、この右衛門佐も実在の人物です。

右衛門佐の墓があるといわれる月桂寺(新宿区河田町)門が閉まっていました

元々は霊元天皇中宮(皇后の別称)に仕えていましたが、後に仙洞御所で後水尾上皇にも使えています。そのときに「右衛門佐」の呼称で呼ばれていたそうです。延宝八年(1680)に上皇崩御にあたって奥勤めを辞めていました。その後、綱吉の正室、鷹司信子によって江戸に呼ばれました。綱吉の娘、鶴姫(母:側室 お伝の方)付の上臈とも、信子本人付きの上臈御年寄とも言われますが、とにかく御台所孝子の引きで大奥に入ったわけです。

貞享四年(1687)には筆頭上臈御年寄として大奥の総取締を担います。ドラマ(コミック)では、自身の年齢が高齢であることを理由に側室を辞退⇒総取締の役を願い、それを綱吉が認め、総取締役に任ずるシーンがありましたが、実際のところどうだったのかは不明です。

右衛門佐がこの世を去ったのは宝永三年(1706)2月、57歳でのことでした。綱吉の逝去は宝永六年(1709)1月のことですから、その死後3年足らずで綱吉が後を追った形になっています。ドラマでは、紀州徳川藩主の綱教(つなのり)と甲府藩主の綱豊(つなとよ 後の徳川家宣)の後継決定を巡り、前者を推す桂昌院柳沢吉保と後者を推す他の老中たちとの対立が描かれましたが、史実ではどうだったのでしょうか?その話は次回で。