ここで名前の出てきた徳川綱教(つなのり)は、紀州徳川家第三代藩主です。元禄十一年(1698)に父光貞が隠居し、三代藩主の座に就きました。御簾中(ごれんちゅう、正室のこと)は鶴姫、すなわち綱吉の娘、早逝した徳松の姉に当たります。つまり綱吉からみて娘婿ということ。
綱吉は徳松が天和三年(1683)に亡くなった後、一人残った実子「鶴姫」を溺愛しており、貞享五年(1688)には「鶴字法度」という法令を出しています。文字通り、「鶴の字をご法度とする」というもので、庶民に対して「鶴」の字や紋を使用することを禁じました。
この法度の影響を受けたのが、「好色一代男」などで知られる浮世草子作者・俳諧師の井原西「鶴」。使えなくなった鶴の字を「鵬」に替えて西鵬と改名せざるを得ませんでした。また縁起の良い「鶴」の字は店の屋号にも使われていましたが、これも許されなくなります。京菓子店「鶴屋」もこの時期「駿河屋」と屋号を変えています。
それほど愛する娘の婿、可愛くないわけがありません。自分に近い者を偏愛する傾向のある綱吉は、自分に新たな後継ができないのを感じ取ると、綱教を次の将軍にと考えるようになります。
さらには母桂昌院がもう一人の将軍候補「綱豊」(のちの家宣)を嫌っていた、というのも綱教を候補にした理由です。甲府藩主である綱豊は、綱吉の兄「綱重」の実子(つまり甥にあたる)です。分別ある名君として知られていましたが、綱重の母親は順性院、かつて同じ家光の側室時代に桂昌院に折檻を加えた「お夏の方」でした。
男系の血筋でいうと、綱豊が次代将軍となるのが順当なのですが、上の理由から綱吉が渋り、後継は決まらないまま時は過ぎていきます。ドラマ「大奥」では竜雷太さん演じる桂昌院が、「甲府は嫌じゃ。紀州は好きじゃ」と耄碌し我を通す姿が印象的でした。
が、綱豊を後継にせざるを得ない事態が発生します。その話は次回で。