おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

象する吉宗

八代将軍吉宗は、キリスト教の文献を除く漢訳された洋書の輸入制限を緩和しています。ヨーロッパの科学技術を吸収し、産業を発展させようと考えてのことですが、それだけでなく吉宗自身が「新し物好き」だったのだろうと思います。

おそらくは、動物図鑑でも見ていた時に、象のページを開いたときに「一目見てみたいものだ」とでも言ったのでしょう。幕府はこの享保年間、長崎の清国商人に象を発注したようです。なんとなく、オランダ商人が東南アジアから連れてきて献上したものだと勝手に想像していたのですが、清国商人に発注したものというのが意外です。

象自体は日本に生息はしていないものの、古くから知られており、仏像や建築の彫刻にも取り入れられています。普賢菩薩帝釈天などは象の上に座っておられますし、日光東照宮にも象が彫られているのが見られます。

東寺の帝釈天 平安時代の作 (東京国立博物館「東寺展」)

日光東照宮にも象の彫刻が見られます

が、日本にいないものを絵に描かれた姿や想像で補って製作しているためどうもリアルさに欠けるような気がします。特に鼻は長く伸びてはいるものの、なんとなく平べったく長い感じで本物とはかけ離れている感じです。

注文?を受けた清国(中国)の商人はさっそくこの象を調達にかかります。そして享保十三年(1728)清国商人の鄭大威が安南国(ベトナムのあたり)から7歳の雄象と5歳の雌象、あわせて二頭を船に乗せて長崎にやってきたのでした。

象を船から降ろすといってもコンテナに入れてクレーンで荷揚げ、なんてことができません。象を乗せた船と波止場の間にわざわざ突堤を築いて通り道を作り、長崎中の人夫を集め、慎重の上にも慎重を期して陸揚げが行われました。上陸後は主だった町内を遠回りするように巡回し、長崎の人々に見物させたうえで、清国人居留地である「唐人屋敷」に入ったといいます。

長崎にやってきたのは雌雄一頭ずつ、ということは繁殖をも視野に入れていたようなのですが、長崎で冬を越すことができず、雌の象はこの世を去ってしまいました。

残された雄の象、この一頭が長崎から京都を経由して江戸まで移動することになるのですが、その話は次回で。