おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

象する吉宗6

江戸にたどり着いた象は、真っ先に江戸城にいる吉宗のもとへ、ではなく、江戸市中を練り歩き、江戸市民の熱狂的な歓迎を受けた、とあります。練り歩いたルートを調べてみましたが、探し方が甘いのか見つけることができませんでした。

江戸でも他の地と同じようにお触れが出され、菓子などは投げるのは禁止、また無作法な振舞いをすることもを禁じられていました。いまでも動物園の人気者の象ですが、この時はだれも目にしたことのなかった珍獣が街を練り歩いているわけですから、ブームにならない方がおかしなくらいです。

その日(5月25日)のうち、象は汐留にあった浜御殿(現在の浜離宮恩賜公園)に移されました。

現在の浜離宮恩賜公園

江戸市中には十分な広さがなく、少し離れた汐留の地であれば象ものんびりできる、とでも考えたのでしょうか。

2日後の5月27日、桜田門から江戸城内に入った象は、大広間の前庭でついに吉宗と対面します。その場には嫡男家重(後の九代将軍)や位階が六位以上の大名・家臣がいた他、大奥の女性たちにも見物を許しています。興味深々だったのでしょう、象に対して猪や犬をけしかけ、どちらが強いか喧嘩をさせた、とも。

象は桜田門から江戸城内に入りました

翌月には駒込水戸藩邸や寛永寺、小石川の水戸藩邸などでも象見物が行われていましたし、吉宗自身も何度か象のもとを訪れ、象使いが象に乗るようすを観察したり、自ら象にエサを与えたりしたと伝わっています。

しかし、そうするうちにもう飽きてしまったのか、吉宗もあまり興味を示さなくなります。南の国からはるばる船に乗せられ、長崎から二か月半も歩いて江戸の地を踏んだ象にとっては迷惑な話です。幕臣たちもこれほどの大きな図体の動物を飼育するには、年間200両以上の費用がかかり、緊縮財政をひいた享保の改革とは相いれない存在になっていきます。困った幕府は、翌年の享保十五年(1730)3月には「象払下げの触」が出され、民間での引取り手を探すまでになってしまいました。

さあ、異国の地の孤独な象の運命は・・次回に続きます。