おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

愛象が尽きる2

事件について話す前に、年間200両も飼育費のかかった象は何を食べていたのかを紹介しましょう。江戸にやってくるまでの宿所で用意されたのは、藁100斤、ササの葉150斤、草100斤、饅頭50個に大量の水だったと記録されています。1斤は600gとされているので、100斤=60kg、150斤=90kg、ということでこれが1日の量ですから、膨大な餌代がかかるわけです。

竹藪があれば笹の葉は手に入るものの、冬は苦労したのではないでしょうか

饅頭?というのは、象は餡の無い饅頭を好んで食べたとされています。想像するに味のない蒸しパンのようなものでしょうか。

世話(飼育)係(象使いを兼ねていたようですが)が餌の質を下げて差額を懐に入れて私腹を肥やしていたとも言われています。ちなみにこの象使いは日本人で、ベトナム人の象使いが長崎から江戸までの旅に同行し、1ヶ月江戸に滞在した間に飼育などについて指導を受けたうちの一人でした。象は頭の良い動物ですので質の悪い餌を食べ、怒り、その企みを見抜いたのか、その飼育係をたたき殺してしまったのでした。

この事件を機に象は中野村の源助、柏木村の弥兵衛の二人に払い下げられることとなります。幕府では費用397両を負担して中野の成願寺のそばに象屋(きさや)という象小屋を建て、これが寛保元年(1741)2月に中野成願寺そばに完成、4月27日に源助に引き渡されました。

象小屋が建てられたのは中野坂上のあたりでした

飼育法を知らない源助・弥兵衛の二人に、幕府は象使い5人を派遣して飼育法を学ばせています。ついに厄介払いをした形の幕府ですが、かわいそうなのは吉宗の好奇心と懐事情に振り回された象でした。中野村で飼われるようになった象の話、続きます。