おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

想いを寄席る5

草々ら3人の弟子たちは、手始めに自分たちで落語会を開く算段(計画)を始めます。

その過程で上方落語には常打ち小屋(落語をメインに毎日興行を行う劇場のこと)がなく、上方落語の悲願であることが喜代美に(すなわち視聴者にも)明かされます。

草若宅(大阪天満橋のすぐ側にあります)の向かい、草若行きつけの居酒屋「寝床」(ツケが相当溜まっていますが)の大将「熊はん」(木村祐一さん)が、落語を前座にして自分がコンサートを開くことを条件に場所を提供してくれることになりました。

大阪天満宮の周辺で話は進んでいきます

この「寝床」も落語の演目からとったもの。長屋の大家である商家の旦那が長屋の店子に下手な義太夫を語るドタバタを噺にしていますが、ドラマの中でも大将は「寝床」でコンサートとして自作の歌「今日から俺がお前の寝床~♪」を披露(周りは迷惑)しています。

が、数日して一転、大将から「あの話はなかったことにしてくれ」と断りが入ってしまいます。売れっ子で、「寝床」の太客でもある小草若が大将に圧力をかけたのでした。
小草若が、師匠であり父親である草若に憎しみにも近い想いを抱いていたのには理由がありました。三年前の一件、草若は周りにすっぽかしの理由を「女のところに行ってた」と説明していたのです。当時草若の妻(つまり小草若の母親)は重い病気に罹っていました。落語会すっぽかしの一件の後、母親はこの世を去り、小草若はそれをずっと恨み続けていたのでした。
さて、今回のドラマの話はここまで。実の親子で落語家というと、現在では九代目林家正蔵師匠(元こぶ平)が四代続いた落語一家ですし、五代目古今亭志ん生師匠と十代目金原亭馬生古今亭志ん朝の両師匠兄弟(皆鬼籍に入っていますが・・)、故桂米朝師匠と五代目桂米團治師匠などもそうですね。

桂米朝(三代目にあたりますが「米朝師匠」といえばこの方を指します)師匠は戦後、ほぼ絶滅の危機に瀕していた上方落語で「上方落語四天王」(他に六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝、三代目桂春団治)として復興に努めました。ドラマでも「上方落語四天王」の一角を草若が占めており、息子が弟子で落語家というところも共通点を感じます。(「米團治」師匠の入門時の名前も「小米朝」でした)

本日のところはここまで。上方落語と「ちりとてちん」の話が続きます。