おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

想いを寄席る3

東京では、講談か「笑点」の司会くらいしか見かけることのないこの3点ですが、落語が「辻噺」、つまり大道芸であった頃の名残だとされています。
今でこそ、大道芸が寺社の境内や庭園で行われる際は一組の演者しかいませんが、当時はライバルがいっぱいです。周囲の音曲や軽業など賑やかな芸に対抗して人を集めなければいけません。
見台の上に置かれた「小拍子」で見台を叩いて音を出して調子を作ります。故米朝師匠が「叩き売りの要領ですな」と説明をされていました。
見台と膝隠しは、演者とお客さん(見物人)との境界線(仕切り)の役割も果たしますが、着物姿の演者が今よりも動作が大袈裟だったらしく、そうすると着物の裾が開いてしまいます。お客さんからそれが見えないようにするために立てたのが「膝隠し」だということです。(以前ある演者さんは「膝というより股のあたり」とおっしゃっていました。)

立ち上がって演じることも(「らくごみゅーじあむ」池田の猪飼い)

江戸落語に「見台」「膝隠し」「小拍子」が使われないのは、起源は同じ大道芸でも、早々に「お座敷芸」「小屋掛け」へと変化していったからと言われます。つまり、お座敷や小屋は先に聴きたいお客が集まってくれていますので、大道芸のように人目を惹くような工夫をする必要もなく、座布団の上で芸を見せればよい訳です。また、細かな仕草などを見せたいと思うと、前の台にあたるものは邪魔になった、とも考えられます。

 

さて、小道具の話が先になりましたが、「ちりとてちん」の続きを。

師匠の草若は3年前、一門会(草若門下で行う落語会)のトリをすっぽかす、という大失態を起こし、関西の大手芸能会社「天狗芸能」会長(竜雷太さん)を激怒させてしまっていました。四人いた弟子のうち二番弟子の草々だけが師匠の下に残り、二人の弟子は落語家をやめてしまいます。もう一人、草若の息子で三番弟子の小草若(こそうじゃく:茂山宗彦さん)だけが一門で一人天狗芸能に残り、関西ローカルで多くのレギュラーを抱える売れっ子でした。

一門会の事件以来、落語を演じなくなった草若に、一心にけいこに励み、なんとかして復帰してほしい草々の真剣な姿に、喜代美は恋心を抱くのですが・・この続きは次回で・