おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

キセキを継ぐもの2

ざこば師匠が米朝師匠に入門したのが15歳の頃。複雑な家庭から、米朝師匠が「育ての親」として歩んでこられた方で、「師匠愛」「一門愛」が人一倍強い方なのでしょう。

「動楽亭」の開設もそうした情熱から決断されたのかと思います。

来年新春の米朝一門会 ざこば師匠は左の一番上 吉弥師匠は右の上から4人目

マンションの2階のお宅を改装した寄席ですから、繁昌亭のように200人を超えるお客さんは入れません。座椅子を並べて数m前には高座があり、演者に極めて近い場所で落語を聴くことができます。こちらに掲げられた額にも、繁昌亭と同じ「楽」の文字が・・しかも一つではなく九つ並んで書かれています。

動楽亭の高座 座席は座椅子を並べて40ちょっと

上方落語を生で見るのは8月の「落語みゅーじあむ」の時に続いて2度目のことで、今回は「ちりとてちん」の草原兄さんこと吉弥師匠の高座が目当てでした。中入り後の一席で吉弥師匠は「花筏」というネタをかけられました。上方落語の演目にあまり詳しくないため、初めて聴く噺で大いに楽しむことができました。

ところで「動楽亭」はざこば師匠が席亭、「米朝事務所」が運営していることもあり、演者のほとんどが米朝一門の噺家さんなのですが、この日は林家染太さん、笑福亭松喬師匠のお二方が一門以外から出演され、松喬師匠がトリを取られました。

そしてこの日の松喬さんのネタも初めて聴く噺でした。

松喬さんのネタは「泥棒と若殿」

荒れ屋敷に入った泥棒が、財産も飯もなく自暴自棄になっている侍に同情し、飯を持ってきて世話をする、奇妙な共同生活が始まり・・・この噺で初めて落語で涙するという経験を味わいました。

演目が終わったのち、壁に張り出された演目「泥棒と若殿」、家に戻ってから松喬師匠とこの演目について調べてみました。

7代目笑福亭松喬(しょうふくてい しょきょう)

名跡:笑福亭笑三(1983年 - 1987年) 

   2代目笑福亭三喬(1987年 - 2017年)

   7代目笑福亭松喬(2017年 - )

笑福亭三喬・・!?

繁昌亭当初の新聞記事が思い出されました。

有川館長が次代のスター候補に挙げるのが入門24年目の笑福亭三喬さん(45)。「人物描写や噺の展開、間(ま)のうまさが突出している」

この人がそうだったんだ! 

この日、次世代を担うと期待された二人の高座を目にすることができたのでした。

話は続きます。