この日松喬師匠がかけた「泥棒と若殿」という演目は、古典落語かと思いきや、山本周五郎作の同名の短編小説を基に松喬師匠が落語に仕立てた「創作落語」でした。師匠は前名の三喬時代に「泥棒三喬」の異名をお持ちで、泥棒の噺を得意にされていますが、この噺は御贔屓のお客様からの発案がこの噺を創ったきっかけだったそうです。
繁昌亭が開設され、上方落語界に与えた良い影響の一つに、各一門の中での落語会以外の機会を多く創出したことで一門の枠を超えて交流・共演する機会が増えたことが挙げられます。そして発表の「場」を得た噺家たちに自身と希望を与え、上方落語は発展を続けることができました。
師匠からの継承を個人で「寄席」の形にしたのはざこば師匠だけではありません。笑福亭鶴瓶師匠は「帝塚山無学」という小さな寄席を作られました。住宅を改装した寄席小屋ですが、元の住人は六代目松鶴師匠。いわずとしれた四天王の一人で、鶴瓶師匠の師匠にあたります。
師匠や師匠の奥様との思い出や自身の修行時代を過ごした場所を残そうとの気持ちに加え、写真のような小さな寄席の雰囲気も後世の残そうとの志で住宅を買い取って改装したものです。
ここ「無学」では若手を中心とした落語会が開催される他、「帝塚山 無学の会」という落語会や演芸、コンサート、トークライブなど、毎月1回秘密のゲストを招いて行うイベントが開催されており、今月で283回を迎えます。毎回の豪華ゲストは秘密にされていて来てからのお楽しみ。過去タモリさんや明石家さんまさんなども登場されました。
上方落語の伝承を担う寄席を紹介してきましたが、次回は先人たちへの尊崇の念の現れをご紹介します。