おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

キセキを継ぐもの4

上方落語を守り育ててきたのは、第一に師匠から弟子へしっかりと受け継がれてきた、ということですが、演者がいるだけでは芸は成り立ちません。芸を見るお客さんあって初めて芸能が成り立ちます。大阪天満宮の厚意をはじめ、天神橋筋商店街や多くの人の物心両面の応援があってこそ繁昌亭設立が実現しました。

繁昌亭のパンフレットは開館の際の集合写真を転写したデザインになっています。

一方、繁昌亭が開館した平成十八年(2006)9月、上方演芸(落語を中心に講談・浪曲)情報誌「よせぴっ」が創刊されました。

繁昌亭パンフレットと情報誌「よせぴっ」

東京には「東京かわら版」という、創刊50周年を迎える演芸専門誌がありますが、こちらは演芸に関する読み物、エッセイからインタビュー等が詰まって1冊170ページほどのボリュームがあって1冊600円。一方の「よせぴっ」は表紙含めて16ページしかありませんが、約10人のスタッフがそれぞれの本業を持ちながら、ボランティアで作られているフリーペーパーです。繁昌亭その他上方の寄席・落語会会場や、池田市の落語みゅーじあむ他各所で配布されていて、現在約7000部が発行されています。(オフィシャルブログからもダウンロードができるようになっています)

ボランティアで作られているフリーペーパーといっても紙代・印刷代はかかります。紙面に掲載される広告がそれを賄うのですが、当初は赤字続き。2010年には存続の危機に陥ります。その危機を救ったのが噺家さんたちでした。

危機を耳にした桂米團治師匠(米朝師匠の息子さんです)が周囲の落語家に声をかけ、繁昌亭で「よせぴっのための落語会」が開催されたのです。ノーギャラで出演し、収益すべてを寄付されただけでなく、舞台でもでも米團治師匠が「よせぴっ」のことを「お客さんにとっても、噺家にとっても大事なもの」と呼びかけられました。

最終面にぎっしりと広告が

更にはその2カ月後には、桂雀三郎師匠も「おおきに“よせぴっ”落語会」を開催、上方落語の「We are the rakugo world」みたいなことをきっかけに、「よせぴっ」への噺家さんの広告掲載も増え、危機を乗り越えることができました。今では落語界の広告以外に飲食店・コンビニなど含め30以上の広告が掲載されるようになりました。

落語は噺家・お客双方のもの、ということをこのエピソードが表しています。

上方落語の噺、もう少し続きます。