おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

奇跡の軌跡4

平成十八年(2006)9月の新聞紙面は60年ぶりの落語定席を取り上げて記事にしていて、15日の本番開演前の9、10日とプレ公演を行った時の様子が記事になっています。

(以下当時の記事より 写真は最近の撮影)

初興行の観客を出迎えるのはまず、「ドンドン」という入れ込みの太鼓の音。天満宮の梅にちなんだ薄紅と濃紺で繁昌亭の名を染め抜いたのぼり6本がはためき、そろいの法被の落語家らが「いらっしゃい」と声をかける。

開演前には一番太鼓が打たれます(2023年10月1日撮影)

 正午には約50人が開場を待った。大阪市中央区から夫婦で訪れた●●●●さん(注:現記事では名前が記載されていましたが、転載にあたって伏字としました)は「楽しみにしていました。映画館のように、いつでも自分の都合で見に来られるのがうれしい」と話した。

 この日の昼公演は、1、2階計218席が前売りで完売した。緞帳(どんちょう)が上がると、主任(トリ)の桂文福さん(53)ら出演者による開館披露の口上。客席から、「待ってました」のかけ声と大きな拍手がわいた。司会の笑福亭銀瓶さん(38)は「待望のホームグラウンド。真っさらのマウンドに上がる投手のような気持ち」。喜びに緊張も交じる。

撮影日の口上でも桂文福さん(右端)が大活躍!

関西の演芸界は漫才が主流で、落語専門の寄席建設は戦後、上方の噺家(はなしか)の悲願だった。不遇の時代を知る長老の人間国宝桂米朝さん(80)は「最初に大看板を並べてるけど、息切れせんように」と繁昌亭を気にかける。

 実現困難だった「落語の城」は隣の大阪天満宮が敷地を無償提供したことで一気に動き出した。上方落語協会が今月催した彦八まつりに2日間で11万人が来るという落語ブームも後押しした。寄付金で建てた小屋は天満宮名義とし、上方落語協会が借りる形を取る。昼は週替わり、夜は日替わり興行で、上方の落語家約200人が出演する。

 責任者の席亭を務める元朝日放送プロデューサーの岩本靖夫さん(65)は、「有望株は多い。個性を磨き一人でも多くの人気者を送り出したい」と自信をのぞかせる。

 東京に4軒ある落語の寄席の一つ新宿末広亭の北村幾夫社長も「いずれは東西交流もしたい」とエールを送っている。

今回はすべて記事をそのまま載せてしまいましたが、当時の大阪が繁昌亭に込めた期待が伝わるでしょうか。次回は15日の本番開演についても触れていきます。