おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

キセキを継ぐもの5

長々と繁昌亭ができるまでとできてからの上方落語の歴史を振り返ってきました。三枝会長が六代目の上方落語協会会長に就任したのが平成十五年(2003)7月23日、それから平成三十年(2018)6月1日に七代目会長の笑福亭仁智(しょうふくてい じんち)師匠が就任するまでの約15年間、会長の任を務めてこられました。

ちなみに仁智師匠は仁鶴師匠の弟子なので、松鶴師匠からは孫弟子にあたります。この15年間で、昭和六十一年(1981)にすでに亡くなっていた松鶴師匠以外の四天王、五代目桂文枝、三代目桂米朝、三代目桂春団治がこの世を去りました。

上方落語の歩みの中から 三枝会長の時代(繁昌亭内展示)

そして繁昌亭開設10周年を翌月日控えた平成二十八年(2016)8月23日、開設に大き尽力をされた天神橋筋商店街会長、土居年樹さんも亡くなっています。

三枝会長は平成二十四年(2012)に六代目桂文枝を襲名されていますが、上方落語協会HPの歴史で、任期の最後書かれた出来事はこちら。

平成二十九年(2017)10月18日 

大阪天満宮・星合池(通称亀の池)のほとりに「高坐招魂社」を建立する

星合の池 「祖霊社」の鳥居の向うに「愛嬌橋」が架かっています

天満宮の北、「裏門筋」に面した鳥居の向こうに「星合の池」があります。池にかかっている橋を「愛嬌橋」といい、この橋の上で出会った男女は、かつてお見合いがおこなわれていたことから、星の神秘的な力によって結ばれるという言い伝えがあるとか。

橋を渡って左に進んだ正面にある「祖霊社」

橋を渡ると道が左に折れ、正面に「祖霊社」が建っています。ちなみに手前に梅が植えられており、春に咲き揃うと小規模な梅林のようです。

「祖霊社」は名前の通り祖先の霊を祀っているのですが、上の写真で左側の樹の後ろに隠れた小さなお社が「高坐招魂社」です。

次回このお社をご紹介して上方落語の項、ラストにしたいと思います。