星合池の位置を【天満宮の北、「裏門筋」に面した鳥居の向こう】と書きましたが、繁昌亭に向かって左わきの道が「裏門筋」にあたるので、繁昌亭から歩いても1,2分で到着する距離です。
前回の年表の記事にもあったように、建立は平成二十九年(2017)10月18日。大阪天満宮の寺井種伯(たねのり)宮司をはじめとする神職の方々による鎮座祭が斎行されたのです。寺井宮司は以前紹介した、天満宮の敷地を無償で提供してくださった方。
お社の右隣には縁起の書かれた石碑が建てられています。
上方落語の嚆矢は江戸期に遡り明治に隆盛を極めるも昭和初期から存亡の危機を重ねる
苦難を乗り越え歩み始めた昭和三十二年四月一日に上方落語協会は設立された
今日の姿に導きし先達の高座とお支え頂いた諸氏の功績を偲び御霊をお祀りし報恩感謝の誠を捧げるとともに技芸上達を願い之を建つ
平成二十九年九月
社名を「高座」招魂社ではなく「高坐」としたのは、江戸寛政年間に初代桂文治が寄席を建てた坐間神社(いかすりじんじゃ/ざまじんじゃ とも)にちなんだものでしょう。
繁昌亭のHP「繁昌亭とは」の中で、三枝、いや六代桂文枝師匠は最後を以下の文で締めくくっておられます。
今年繁昌亭の楽屋口北側、亀の池の西奥に「髙坐招魂社」というお社が出来る。
私は今日の繁昌亭の繁栄は先輩師匠方のおかげと、皆様を合祀するお社を作りたいと思っていたからだ。
そこには亡くなった落語家、お囃子さんに、先般お亡くなりになった、商店街の元理事長、私に寄席の話を持って来て下さった「土居年樹」さんにも入っていただこうと思っている。
最後に、いつか、これまでのあゆみについても書きたいと思う。
建設に際しては、いろいろアイデアは出したが、上方落語協会所属の落語家皆さんの団結が落語の定席を造ったことに、間違いはない。
みんなの「天満天神・繁昌亭」なのだ。
「奇跡の寄席」繁昌亭がこれからも繁昌し愛されていくことを願い、この項を締めくくりたいと思います。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。