おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

おそれ大奥ことながら4

 

この事件を風刺した黄表紙「黒白水鏡」(こくびゃくみずかがみ)は、この刃傷事件を風刺したものとされていますが、前回の「佐野善左衛門宅跡」案内板右上にその本の見開き部分が載せられています。尻もちをついたような左の武士が田沼意知、右の刀を持った武士が佐野ですね。

この刃傷事件を題材とした黄表紙「黒白水鏡」

この「黒白水鏡」の作者、石部琴好(いしべ きんこう)は御用達商人の松崎仙右衛門の筆名、挿絵を描いた北尾政演(きたお まさのぶ)は戯作者としても有名な山東京伝(さんとう きょうでん)です。この本は寛政元年(1789)に刊行されましたが、発禁処分とされ、作者琴好は手鎖の刑(体の前で手錠をかけられ自宅で謹慎させる)に処せられた後、江戸所払いとなり、絵師政演は罰金刑を受けています。

刊行は事件が起きた5年後のことですが、今と違って5年経ってはいても、世間の人々の間では生々しい記憶が残っていたのでしょう。

さて、この事件の経過を追っていきましょう。

事件は江戸城内「表」(大奥に対して執務を行う場所)で起きました

事件が起こったのは、天明四年(1784)3月24日夕刻のことでした。江戸城内で執務を終えた意知が御用部屋から桔梗の間に差し掛かったところ、その脇の「御番所」に控えていた5名の武士のうち1名が刀の鞘を抜きはらって意知に斬りかかります。御用部屋から意知(田沼山城守)と同行していた酒井石見守、太田備後守、米倉丹後守はその場を逃げ出してしまいました。

意知は脇差を抜いて防ごうとしますが防ぎきれずに肩などを斬られ、倒れたところ更に股を刺され、この刺傷が三寸五六分の深手となります。周囲は突然のことで一瞬唖然となったものの、次の間にいた大目付の松平対馬守忠郷が佐野を取り押さえ、目付の柳生主繕正が手から刀を取り上げました。

刃傷事件の話が続きます。