おっさんの街歩き(忠敬に憧れて)

首都圏周辺の見て歩きや気になった本やドラマなどについて語ります

ガキの他界やあらへんで2

前回、成年までの「生残り確率」を示しましたが、成年はおろか、約半分の子女は3歳以下で亡くなっています。当時は数え年年齢ですから満年齢でいうと2歳以下。

ライトノベル薬屋のひとりごと」でも冒頭部分で帝の御子が次々と亡くなる事件が起こります。主人公が「おしろいはどく、赤子にふれさすな」とその謎を明かします。

つまり女性が使う「おしろい」に含まれた鉛(白い顔料)による鉛中毒が原因だというわけです。

小石川の伝通院 徳川将軍家にかかわる人々の墓が数多くあるのですが・・

薬屋のひとりごと」の皇帝の御子たちや将軍家の子女は、母親が母乳をあげるわけではなく、「乳母」がお乳を与えるわけですが、その乳母たちがおしろいを顔、首筋、胸と背中に塗り伸ばし、その乳房を子供が吸う、ということで鉛が体内に入り続けます。

更には御稚児さんのように、子供の顔や首にもべったりとおしろいを塗られることも。「鉛中毒」は初期は睡眠不足、食欲低下、便秘などをもたらしますが、症状が進むと神経細胞が死滅し死に至ることになります。鉛が口から入った場合の消化器での子供の吸収率は大人の5倍ということもあって、じわじわと幼い身体が毒に蝕まれていきました。一般庶民の母親はおしろいを使用することはほぼなかったと考えられるので、将軍や大名といった高級武士たちに固有の病(?)だったといえるでしょう。

伝通院 このあたりに並ぶのは夭逝した家斉の子たちの墓です

さて、将軍の「乳母」というと三代将軍家光の乳母である「春日局」を連想し、さぞかし良い待遇で日々努めていたとお思いでしょうが、この時期乳母(御乳持:おちもち)を務めていたのは、御目見(おめみえ)以下の低い御家人の妻女を雇っていました。旗本のお嬢さま育ちの乳母よりも心身たくましくお乳の出もよかろう、という考えからのようです。

しかし、この制度にはあまりに不自由なことがありました。その不自由な内容については次回で。