この項の話題は文春新書「遊王 徳川家斉」(岡崎 守恭先生著)に基づき、かいつまんでご紹介しているので、より詳しく知りたい方は本書をお勧めします。さて、前回乳母のことを御乳持(おちもち)と紹介しました。これは乳を与えるだけの仕事で、子育てをする役割は担っていません。その意味で春日局のようにはなり得ない存在です。
しかも、御目見(おめみえ)以下の低い御家人の妻女なので、身分上将軍の子女に触れることはおろか、その姿を見ることも許されません。
では、どのようにして乳をあたえていたか、実に驚きの方法をとっていました。
御乳持役は顔をマスクのようなもので覆い、本人と乳児の双方がお互い顔が見えないようにします。さらに乳児は別の女中が抱きかかえ、御乳持役の乳房にあてがっていました。いくら心身が健康な状態で雇われても、こんな状況下に置かれてはたまったものではありません。心身ともに疲れ、ストレスから乳が出なくなってしまったといいます。
また、決して御乳持役に対する待遇は良いといえず(覆面などの件からも想像がつきますが)、食事も質素極まりないばかりか、三日に一度出される魚も古くなって食べられるようなものでなかったようです。
出の悪い御乳持役の乳房を一生懸命吸う乳児、しかも乳房には白粉が塗られています。吸えば吸うほど鉛の毒が身体に入る悪循環。将軍家の子女より富裕な商家の子供の方がよっぽど良い環境にあったのではないかと思われます。1人の幼児に3-4人の御乳持役が記録に残っており、長続きせず交代せざるを得なかった状況が伺われます。
乳を与えることだけではなく、それ以外の育児に関しても問題があったようです。それについては次回で。